低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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自由と平等 えなせ
社会の時間によく「自由と平等」という言葉を聞いたことがある。一見「自由と平等」と聞くとすごく平和な感じがするのだが、そんな生活をするのはとても難しい。私と妹は晩ご飯を食べる時によくおかずの取り合いをする。これを例に考えてみると、自由になれば自分の欲しい分だけ早い者勝ちで取ってしまい平等ではなくなってしまう。反対に平等になれば自分が欲しい量を決められないため自由ではなくなる。このように、どちらかが優位に立つとどちらかは劣ってしまうのだ。このどちらかの行きすぎのせいでお互いが足を引っ張り合う、不自由な横並び社会が生まれるのは問題ではないか。
横並び社会が生まれるのを阻止する対策としてあるのが、平等を保証する代わりにそれ相応の努力を要求するというものだ。私の学校では遅刻を月に5回以上してしまうと、遅刻指導といって反省文を書かされたり朝早く学校にきて掃除をしなくてはいけない。努力をして早めに起きて遅刻をしなければ、反省文を書かないで遊べたり朝早く起きないで睡眠時間をもっと取ることができただろう。私は多くても月に3回ほどしか遅刻をしたことがないので遅刻指導は受けたことがないが、必ず10人ほどは朝に掃除をしている。
もう1つは、なんのための平等であり自由であるかという原点を常に確かめることである。最近ではその言葉だけで満足してしまい、中身がどうであれ良し悪しを決めてしまうことが多い。「白雪姫」では悪い魔女が鏡に向かって「鏡よ鏡、世界で1番美しいのは誰?」と聞いて鏡が「あなた様です。」と言ってくれればそれだけで満足なのだ。こういったことが今の世の中にはあふれ返っている。「自由と平等」という上辺の言葉だけで満足するのではなく、その原点に目を向けるべきだ。
確かに誰もが「自由と平等」に暮らせることは大切なことだ。しかし、世の中そう上手くいくものではなく、どっちかに傾けばどっちかは宙に浮いてしまう。「自由と平等」は重さが釣り合った天秤ではなく片方が重い天秤なのだ。だから、これからの日本は少しずつ両方を近づけていき、自由で平等な生活ができるようにするとよいと思う。
講評 nane
おかずの取り合いから自由と平等を考えたところがすごい(笑)。このように、自分の問題として考えるのは大事だね。社会における自由と平等の問題も、基本は同じ。
平等には努力が必要というのは大事な考え方。遅刻指導なんて受ける人がそんなにたくさんいるんだね。罰則を厳しくすると暗い社会になるけど、ある程度のけじめがないと、真面目にやっている人が意欲をなくすことになる。そういう点では遅刻指導ぐらいの罰はちょうどいいのかもしれない。
白雪姫の引用は、ユニーク。原点を考えるというのは、いろいろな問題に共通する発想だから覚えておこう。
自由と平等の両立は、どこかに答えが書いてある問題ではなく、自分たちで日々改善していく問題なのだろうね。
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