国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   幸運   おのそ

運と見えるものは、日常の生き方の結果である。手紙一つ添えるにも、びんせんからふうとう、切手まで細かな心ずかいに行き届いた人も居る。それが相手への最高の贈り物である。ものごとを安易に考えないで、苦労をいとなわない人は、幸運のほうが追いかけてくる。運命を信じる人は怠け者であり愚か者であると言う。運命を信じる人は自らのベストを尽くさないための言い訳として運命を信じるのだと言う。座って不運を嘆いている人は、幸運が自分を見つけるべきだと考えて、自分が幸運を見つけるべきだとは考えない。人知れず苦労をしていない人はすぐに物事を幸運とか不運とかで片付けてしまう。しかし幸運と見えても、上手く事を運ぶにはかげでそれなりの長い長い努力や苦労がいる。「人生の消耗に絶えられる人は、幸運な人である」とカソンは言う。困難の無い人生など無い、これが人生の運を考えるときの大前提である。(要約)
 ぼくは、5年生の夏まで、ちっとも泳げなかった。バシャバシャと、5m程進むことには進んだが、友達は、「まるで、本当におぼれているみたいだ」といっていた。でも、それはそれで、あっているかもしれない。実際、ぼくは、必死になって、泳いでいたのだから。ところが、5年生の夏、毎日、プール通って2時間ぐらい練習したら、25mどころか、500m、1kmと、楽に泳げるようになった。長文にもあったとうり、幸運とは、やはり、日々の努力の積み重ねなのである。(前の話)
 発明王のエジソンだって、「天才とは1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力である。」と言っているし、ぼくの学校のクラスに、算数の天才がいて、なぜそんなに算数が得意なのかと聞いたら、「1日に5問ずつやるようにしたら、このようになった。」といっていたことがある。
 このようなことから、人間にとって、幸運とは、運が勝手についてくるのでは無く、日々の努力の積みかさ値であることが分かった。

   講評   jun

 水泳の話も友達の算数の話もぴったりの似た話ですね。幸運は、努力の積み重ねによって自らつかみとるものなのですね。

▲第三段落の「発明王の」で始まる一文は、二つの文に分けて読みやすくしましょう。
                             

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