国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   上り坂あれば被害を受ける。   

 社会性を欠いた人は、「私は運が悪い」と言う。何が原因で自分に世の中がつらく当たるのかが理解できないのである。その困難や不幸を招いたのは自分の過去の行いの集積であることにはさいごまで気がつかない。こうして、幸運や不運の環境はできてくる。人はそこの場所と時だけでそうしたことをしているのではない。他の場所や時でもそうしている。その結果、そのような人の周りには質のいい人が集まらない。困難のない人生などない、これが人生の運を考える時の大前提である。
 時々、「のり」の悪い人がいる。人には個性があるものだからなんとなく過ごす。授業中、話も聞かないで他のことをやっているが、怒られても不思議そうな顔をする。いくら自分の罪を認めたくない人でも、何故怒られているのかわからない人はいない。そういう人たちは「俺だけじゃない」という。真に自分の罪を認めない。相手を落とし穴に入れて屁理屈を言う。「のり」は空気を読まないと行えない。空気を読んでさっさと謝って終わらすとか考えないのだろうか。
 運がわるい。運とはめぐりあわせなのだから、2つあるなら50%ずつ。3つあるなら33.3%ずつ。4つあるなら25%ずつ。そんなに偏るものではない。それで極端に偏ってしまうのは、自分に原因がある。じゃんけんで絶対に負けるのはじぶんが何を出しているのかを考えずに、相手に何を出す、と分かられているからとかなどだ。運とはその人の癖が決めるのかもしれない。何も知らずにやっていること。僕が列車の中で忘れ物をしないと言うのも運だろうが、ある意味癖である。列車を降りる時に後ろを振り返るのだ。癖はあつかいにくい。自分がどのような癖を持っているから、このようなときには、このように対処しなければならない。そのようなことを覚えていると、自分の今置かれている場所を意識しながら行動できるのではないか。同時に「のり」「時代の波」に乗り遅れることも無くP波を意識できる。S波をキャッチする頃には手遅れだ。自分の過ちに気付かずに被害を受ける。
 人間にとって運とは上り坂あれば下り坂ありだと思う。2つあるなら50%で例えると、じゃんけんで連続3回負けたとする。でも3回のチャンスが用意してあるということだ。人は平等に作られたものであるから、結局皆同じところ行き着くと思う。めぐり合わせはプラスに考えてチャンスに変える。それが一番よい方法・対処だと思う。いくら藻掻いたって結果は変わらないから。

   講評   nane

 要約を自分なりにまとめたね。文の長さは、平均的にもう少し長い方がいいかな。接続語でつなげてみよう。
 第二段落の実例は、このままだと主題との関連が今ひとつ不明。ひとこと、感想を書いて、第三段落に移るといいよ。
 電車の中で忘れ物をしない工夫は、面白い。教室でも、それをやればいいのに。(笑)
 運のよさ悪さというものを、確率の問題として考えたね。確かに、上り坂もあれば下り坂もある。しかし、この感想だと、長文の主題とは微妙にずれるかも。
 内容はよく考えているから、更に格好いい文章を書こう。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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