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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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否定することの先にあるもの(感)(清書) おへふ
この話を読んで、一番心に残っている部分は、自分を否定することは、自分の全体をだめだとしてしまうことではない。というところだ。確かに、自分を否定することは、今までを振り返って、あれは間違っていたんだな、とはっきりみとめてそれを否定することであり、そうすることで、人は明るくなり、強くなるのである。
友達や先生など、信頼関係がある人にでも、「ごめんなさい。」などの謝罪の言葉を言う恥ずかしい。けれども、きちっと「ごめんなさい。」と言えたら心のもやもやがなくなり、頭の中で、あやまるのは恥ずかしいことなんてない。という意識が芽生える。知って行わざるは、知らざると同じ。知っていても、実行しなければ知らないのと同じだ。という意味だ。つまり心の中ではこれはいけないことだと分かっていても、謝らなければ、いけないと分かっていない、反省していないことになり、相手を怒らせることになってしまう。そして相手が怒り、けなされる。次に、そういう経験がある人が、けなされるのをおそれ謝罪をさけるのだ。
それは、海外でも同じである。アメリカの大統領のジョージワシントンがお父さんの大切にしている桜の木を誤って切ってとがめられたとき、正直にやりましたと謝罪して、その勇気をほめられたという伝記がある。それはとても勇気がいることだと思う。謝罪することをとても恐れただろう。でも、勇気をだして言ったらとても心がすっきりしたのであろう。そのときの気持ちはまるで喉の奥に詰まっていたものが取れたかのようだったのかもしれない。謝ったりするのは勇気がいることだけれど、それをすることで得れることがあるのだと思う。気持ちが明るくなり、強くなれる。それはとても大きなことだと思う。
自分を否定することの先にあるもの。それは希望だ。自分を否定するのはしづらいかもしれない。けれど、そこできちんと否定すると相手は、しょうがないなという気持ちになり、自分の過ちを許してくれる。許してもらえると、こっちもなあんだこんなに簡単なことだったんだ。と気持ちが明るくなり、次からは謝るのが楽になる。決して自分を否定するのは自分の全体をだめだとしてしまうことではない。むしろ、新たな自分を切り開く、第一歩なのかもしれない。
講評 sumomo
長文の要約を省いて、自分の考えをよりわかりやすく述べることができましたね。
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