国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   人にわかってもらうためには   かいえ

日本人は質問に対して否定するときや、他人と違う意見を述べるときは控えめに発言する。つまり相手の様子を伺いながら話す。一方外国人は、いいえという言葉を遠慮なくはっきり言う。また、日本では否定するときは、話している人にあわせて「はい」か「いいえ」と言うが、外国人はいつも自分がしたかしていないかを答える。日本人は、なにかに否定するときは、相手の発言の批判にならないかを自然に気にしてしまう。しかし、欧米人は客観的に事実を語る。なので、現実の行為に有無に向けられている。

確かに自分の意見と異なる発言や質問だったらはっきりと否定するのは大切だ。自分が思うことをはっきり主張すれば、自分のためにもなるし、そしてなにか反論があれば、それを口にしていうことで、自分の意見が認められることもある。私はまだカナダに行って1年もたたないころ、友達に珍しいおかしを勧められた。しかし残り少なかったので、欲望を抑えて我慢した。そして後になって「もらっておけばよかった」と後悔した。まだ日本の文化に浸っていたとき、少ししかないものは遠慮する、という習慣がついていた。しかし今は米国の文化も混ざってきて、差し出されたらとる、そして言いたいことははっきり言うようになって後悔することも少なくなった。(体験実例)

しかしあまり否定を強くしすぎないほうがいいとも思う。あまりにも能天気にずばずばと事実をいってしまうと、人を傷つけたり、批判してしまうからだ。昔話「かぐや姫」では、かぐや姫は何度もプロポーズされるが月に帰らなければならないといけないので、「いいえ」のかわりに不可能な任務を任せた。「いいえ」を強く言わないのは相手を批判しないための思いやり、そして否定しながらも相手を尊重するために必要だと私は思う。

自分の意見をはっきり言うこと、だが強く否定しすぎないのは両方大切だ。しかし自分の意見を相手に伝えるということはもっと大切だと思う。相手が自分の気持ちをわからないままだとあとで後悔したり、誤解を生んでしまったりする。「人間というのは、結果から事のよしあしを判断する」という名言があるように、小さく否定しなければいけないところを、案外はっきり言ったほうが場のため自分のためになるかもしれない。


   講評   ogi

 〈意見A〉かいえさんが挙げたような体験実例でも良いですが、「(勇気をもって)主張したことでよかったこと」または「主張しなかったから困ったこと」など、その結果がはっきりわかるような実例だともっと良いと思います。
 〈意見B〉ここでも「強く主張しないことが良いことにつながった」ような実例を挙げておくと内容がより充実しますね。
 〈総合化〉小さく否定しなければならないところをはっきり言ったほうが、なぜ「場のため自分のためになる」のかの理由がもっとよくわかるような説明を少し入れてみましょう。

【お母様へ】
 12.3週、12.4週の講評は少し遅れるかもしれません。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、ご了承ください。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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