国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   生きる   ももちゃん

 私は、人間も「死を意識して生きる」ことは、大切だと思う。
 まず、私がそのように考える第一の理由は、「死のようなゴールがあるからこそ今しかできないことが自覚できるのだとおもうから。」だ。例えば、テスト。テストという目的(ゴール)があるからこそ、「テスト前」があり、そのテスト前には、特に勉強する。[本当は普段からするべきことなのだけど…。(笑)]だから、テスト前があるからこそ、その時「勉強しよう!」と自覚できるのだ。つまり、テストのゴールがあるからこそ、出来るのだ。このように、死という終着点を意識的に、持っていると、それまでにしたいことを優先に考え、そしてどんどんとこなしていく、と自分に満足のいく人生が送れると思う。
 第二の理由は、「死を意識して生きることで、毎日を大切に出来ると思うから。」だ。十三才の十二月二十七日はもう訪れない。だからといって、死と隣り合わせである人間・動物には、明日・来月・来年が来るかも分からない。人間は、そんなおそれは、めったにないと、『生きている背には死がある』ことに全く気づきもしていない。けれど、それを自覚していれば、その日、その瞬間を、大切に自分らしく生きようと思えるし、また人との出会いも大切にするだろう。だから私は、もっと死を意識し自覚し、生命を大切にしてほしい。
 確かに、死を考えるのは早いとか、どうでもいいと、思っている人のほうが多いかもしれない。しかし、「一期一会」(一生に一度しか会う機会がないような縁であること。)という四字熟語もあるように、一生はいつ終わるか分からない。だからこそ、一生に一度きりのことを、と思い毎日を過ごすと有意義な毎日になると思っているし、死が隣にあることをある程度考えないと、他人の死も認められないと思う。そして、私自身これからも、死を意識しつつ、毎日の瞬間と出会いを大切にしながら、今すべき事を全力で進んでいこうと、思う。

   講評   sumomo


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