創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   人と好きなもの・嫌いなもの   ニンジンスキー

 がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使う。「勉強」とはどのようなもので、何のためにするものなのだろうか。「べんきょう」を訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むことができる。「つとめる」とは一生懸命にはげむこと、「しいる」とは無理やりやらせることといった意味だ。つまり、なにかを無理じいするニュアンスがふくまれている。みなさんの進む方向がそれぞれちがうように、「勉強」の目的も人によってさまざまだろう。「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこへ行きつくための手段にすぎないのだ。
 私が「無理やりやらされている」と感じる教科は算数だ。前に、「およその面積」の単元のとき、あまり興味がもてずにぼーっとして授業を受けていたら、そのあとにあったテストで、ぼろぼろの点数を取ってしまったことがある。けれど、よっぽどのことがない限り、目的に行き着くための手段にはなり難いものだ。なぜなら、こげこげのトーストの焦げの表面積をできるだけ正確に求めろとか、そんな事は生活の中で必要にはならないからだ。だから、一生後悔はしないだろう。それとうってかわって社会は、私の得意科目の中でも特に夢中になれるものだ。薩長同盟の授業のときだった。「薩摩」「長州」と二つに真ん中で分けてノートにとった時、先生が黒板に書いていること以上に、先生の余談まで書きとめてしまった。結局、ノートの見開きでは足りなくなりそうで、最後のほうは、内容が薄くなってしまった。あれはまるでクリームパンのクリームを先に食べてしまって、パン生地だけが残った時のように悔やまれる出来事だった。
 友達は、塾で勉強の先取りをしている。同じく社会の授業の時、もう完全に知っている事だらけで退屈して、社会のノートの裏側に小説を書き始めてしまった。その子の隣の子が小説を見てはくすくす笑って、先生がしょっちゅうそっちを見てきた。そして、さらに最悪なことに、その授業の終わりに、先生が
「社会のノートを集めます」
と言ったのだ。それを聞いた友達は・・・そのノートのページをきれいに破ってしまったそうだ!で、結局、ばれずに終わったらしい。こんな出来事の逆で、私の母の場合、大学受験の前、枕草子が好きで、古文が得意だった。それで、母は、大学受験の古文をさほど勉強もせずにいい点数でパスした。古文が役に立つのかは知らないが、いい話である。「さほど勉強もせず」なのだから。学問に王道はないが、「得意」はある。
 人間にとって勉強とは、好きなことをするための道作りのようなものだろう。自分のすきな方向に道を作ればいいのだ。得意をシャベルに、知識をセメントにして。右に行きたければ右に、左に行きたければ左にと。

   講評   hira

 「こげこげのトーストの焦げの表面積」から「得意をシャベル、知識をセメント」とたとえを見事に使いこなした2007年の締めくくりとなりました。もともとよく書けていたけれど、更に表現に磨きがかかってきましたね。2008年もニンジンスキーちゃんの宝石入りロード、ピカピカに磨きつつ、シャベルで地道に造りあげていきましょう^^。


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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