低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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勉強の目的とは? かつさ
「勉強」とは地球上に人間が誕生してから誰もが行なってきた当たり前の動作であるといえる。とはいってもその内容は色々で、狩りの仕方を習うのも勉強であるし、難しい数式を習うのも勉強である。しかし、これらに共通するのは、どんな種類の勉強でも自分達が日々生きていく中で必要な知識を学ぶ、ということだ。にもかかわらず、現代でいう「勉強」は退屈で、自分達の将来とは何の関係も無いようなものとして捉えらている。戦後以来の「詰め込み教育」がここに来て勉強の本質と矛盾してしまっているのだ。それを察知して、政府もこの急速な勉強離れを食い止めようと躍起になっているのである。
そんな経緯があってか、私たちの世代は「ゆとり教育」の最盛期に小学校時代を過ごした。だから小学校で習うはずだった台形の面積などは塾に行って全て習ったのだが、その塾は皆中学受験を前提に行くような所だったから、山のような情報を頭に叩き込まれた。今ではそのほとんどの事を忘れてしまったのだが、その理由は簡単である。勉強の目的が中学受験であるからだ。もう高校生になった今では、それらの知識の存在理由はなくなってしまっている。しかし、これでは何のためにあの頃必死に勉強したのか分からないとつくづく考えさせられる。だから今はその反省点を踏まえて、自分がどう生きたいのかが見つかるような、またはその生き方に役立つような勉強法を模索中である。
私が小学校を卒業してから数年立つが、結局、政府は「ゆとり教育」から元の教育方法へ戻し始めたそうだ。学力の低下が叫ばれ始めていたからいつ元の教育方法に戻るかは時間の問題であったが、もともとの政府のねらいは分からなくもない。欧米諸国の文化に追いつくために行なわれていたつめこみ型の勉強法を、日本が経済大国に発展した今、個人の独創性を取り戻せるような勉強法にしたかったのであろう。しかし、その「ゆとり教育」を経験した私から言わせれば、それは単に遊ぶ時間が増えただけで、何の為に自分は勉強するのか、というような本質的な話題に及ぶようなものではなかった。そもそも、「勉強することに意味がある」と思い込んでいる私たちに、突然全く逆の勉強に対する捉え方を教えられてもそう簡単には納得できない。
欧米諸国に並んだ現代において、日本はアメリカやイギリスとは別の道を歩まなければならなくなっている。今までのようにアメリカの尻に敷かれ続けるわけにはいかない。しかし、アメリカにあらかじめ敷いて貰ったレールをただ辿ってきた日本文化に、自らのレールを作り出すような技術は無い。百余年にわたって作り上げてきた日本人の高い勤勉性が、ここに来て大きな壁になってしまっているのである。この壁は高く、そして分厚い。取り除くのには長い年月がかかるだろう。しかしそれが出来れば、現在日本が抱えている諸問題、あるいは日本も含めた地球規模で解決すべき問題にも、今までには無い柔軟な対応が出来るようになるのではないか、という希望も生まれてくるのである。そして、それこそが私が考える、真に勉強する目的であるのだ。
講評 nane
勉強の意味という抽象的になりがちな話を正面から深く考えたね。
この清書にも書いてあるように、これからの勉強も目的は、創造するための勉強。もちろんそのために基礎を習得することは必要だけど、これまでは習得すること自体が目的のように見なされていた。
自分のしたいことは何かといつも考えながらこれから勉強をしていくといいよ。
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