国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自然の偉大さ   かおや

 農業は自然と調和したエコロジカルな行為と一般には思われているが、決してそうではない。農業は自然界にある植物を人間の管理化に置こうとする営みである。しかし、自然とは本来、人間が手をつけられないような荒々しいものであって、私達は自然を手なずけるどころか、自然の大きな力に翻弄されるばかりである。私達は自然をコントロール下に置いてような気分になっているが、実際には大きな自然界のほんの少々の「おあまり」を頂くくらいのことしかできていないのだ。私は自然に対する謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。
 そのためには、第一に、自然の恐ろしさ、偉大さを認識する必要がある。私は学校のゼミの一環として、沖縄の西表島を訪れたことがある。西表島は原生林が残っていたり、イリオモテヤマネコなどの絶滅危惧種が生息していたりと、その自然の豊かさで有名である。そこは、どこを歩いても自然ばかり、という場所だった。そんな状況に置かれると、嫌でも自然の偉大さを身に染みて感じるものだが、一番に自然の偉大さを感じたのは食事のときである。島の宿で出されたものは基本的に島で採れたものばかりで、魚はもちろん漁で捕ったものだし、野菜は近くから採ってきたものだ。外部からの物資の供給がまったく無い訳では無いので、さすがに餓死するということは無いが、島の自然から食べ物を得ることができなくなった場合、それは一大事である。そんな状況で食事をしていると、自分は偉大な自然に生かされているのだと、強く実感した。
 第二に、幼いころから自然に多く触れる必要がある。現代の日本人は、自然と触れ合う機会が少ないとよく言われるが、私もそう思う。私はマレーシアで育ったのだが、日本に帰ってきたときの感想は、ずばり「自然が少ない」だった。私の住んでいたマンションは森の中にあり、自然に触れる機会は多くあったので、日本のように自然が少ないのは少し不思議に見えた。私は母に日本に帰ってきてから、「猿はいないの?」と、とんでもないことを聞いたそうだ。そんな私からすると、現代の子供の中には、魚は切り身の状態で泳いでいると思っている子がいるという話は信じがたい。これも、現代の日本人が、自然と触れ合っていないことの現れであろう。そんな状態では、自然を敬う敬わないなどという問題以前である。まずは、自然に触れ、自然を知ることが必要である。
 確かに、ときには人間が自然を管理することも必要だ。しかし、「花は誰が見ていなくても咲いている」という言葉があるように、自然は決して人間の管理化に無くとも機能していけるのである。現代は自然保護などとよく言われているが、自然を壊したのも人間である。それなのに、人間はまるで、自然は人間無しでは、破滅に向かうばかりだと思い上がっているのである。地球の長い歴史の中で見てみれば、人間が生きてきた時間などは、本当にちっぽけなものである。私はそのことを忘れずに、自然に対する謙虚な気持ちを持って生きていきたい。

   講評   nane

 わかりやすい構成。書き出しから意見にスムーズにつなげた。
 西表島の例は、実際に体験したからこそ書ける例だね。南国だから、生き物は豊富だろうけど、やはり島の生活というのは、不安も大きいだろうね。
 第三段落の体験実例は、ユーモラス。小論文でも、こういう面白さは貴重。
 「花はだれが見ていなくても……」の名言は、意外な引用だった。なるほど、自然は管理とは別のところで生きているということだね。
 1200字で、しっかりまとめた。安定した文章になっている。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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