創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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小さい子 ゆっきー
自分を異星人みたいに感じたことはない?ほかの惑星の生物に出くわすなんて、そんなにありえそうなことではない。ほかの惑星に生命が存在するかも分からない。ソフィーは、自分が宇宙のある惑星の上をごそごそ動き回っているということは知っている。でも宇宙とは何だろう?なんであるのだろう?もしもソフィーがこんな自分に気がついたなら、ソフィーは自分自身さっきの火星人と同じくらい謎めいた物を発見したことになる。ある朝パパとママと小さなトーマスが、二、三歳の男の子だ。突然パパが天井近くまで、ふわっと浮かび上がった。トーマスはパパを指差して「パパが飛んでる」と言った。パパはいろいろおかしなことをするから、ちょっとばかしテーブルの上を飛ぶことくらいトーマスの目には、たいしたことには映らない。しかしママは、手からジャムのガラス瓶が落ち、ママはびっくり仰天してけたたましく叫ぶ。パパがいすに戻った後もしかしたらママは、医者に見てもらはないといけないかもしれない。どうしてトーマスとママではこんなに反応が違うのか。これは、「習慣」の問題だ。ママは人間が飛べないということをとっくの昔に学んでいる。トーマスは学んでいない。トーマスはまだ、何がありで何が無しか分かっていない。
私は、小さいころにそこら辺に落ちている石にすごく興味があった。
「何で石はできるの?」
父によく聞いていた覚えがある。父はそのたびにいろいろなことを教えてくれた。
「石は砂が固まってできたんだよ」
などから、石の名前まで教えてくれた。今ではあまりそういうことは思わない。そこら辺に落ちている大体の石は、花崗岩だと知っているからだ。これも父から教えてもらった。そしてその花崗岩が、火山の働きでできることも知っている。これは、学校で習った。こういう子をあまり不思議だと感じなくなっていくのは悲しいことだと思う。今はこのような知識が増えて、あまり「不思議だなあ」とをもう事がなくなってきたので悲しいと自分でも思う。
私には、弟がいる。まだ四歳ですごくうるさい。
「なんで」
分からないことがあると、弟は、すぐに言う。弟は、まだ知らないことが多いので、いつも「どうして」「なんで」と思っているようだ。私は知っている限りのことは弟に教えている。私でも知らないことはたくさんある。でも弟のように、あまり「どうして」「なんで」と聞きたくはならない。なので少し弟がうらやましいときもある。弟を見ていると、「自分もこんな感じだったのかな」と思う。でもそんな話は聞いたことがない。私は、小さい頃には大体色鉛筆を持って紙に絵を書いていたらしい。小さい頃は、あまり喋らなかったみたいだ。
人間にとって「なんで」「どうして」と思い誰かに聞く、まだ何がありで何が無しか分かっていない小さい子がすることだと分かった。大人なのに、しきりに「なんで」「どうして」と聞いてくる人はまだ何がありで何が無しか分かっていない子供なのかもしれない。
講評 inoko
ゆっきーさん、こんにちは。
固定観念や先入観が植え付けられて、この世のいろいろなことを不思議だと思わなくなるようになる。それが大人になることだとも言えますが、そうだとしたら、大人になるというのは、つまらないことですね。世の中は、知らないことだらけです。新しい物事が日々生み出されていきますから、自分の知識などとうてい追いつくものではありません。知っていることよりも知らないことの方が当然多いわけですから、広くとらえてみれば、もしかしたら大人も子どもも同じレベルかもしれません。そう考えれば、大人になっても、いろいろなことに疑問を持つことは、決して恥ずかしいことではないはずです。でも、実際はそのようには、なかなか考えられないものなのですね。
☆ 長文に書かれている言葉を用いて、最後の意見につなげることができました。大人なのにしきりに聞いてくる人は、確かに子どものようかもしれません。でも、子どものような心で知りたいと思っているそのような人は、きっといつまでも若い心でいられるような気もしますが……。
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