低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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人間と公園 あにせ
公園からは子供達のはしゃぐ声が聞こえ、丹念に育てられたであろう花が咲いている。私も小さい頃はよく近所の公園に行き、草むらに入って雑草を摘んだりしたものだ。
そもそも公園とは、公衆のために設けられた場所である。昔の庭は皆の憩いの場であった。人が集まり世間話でも楽しんでいたのだろう。しかし時代が変わるにつれ貴族や権力者が現れると庭は囲われ憩いの場は失われた。代表的なのが平安時代の寝殿造りである。ここからどんどん閉鎖的になってしまった。日本人がなんとなく消極的なのももしかしたらこの時代から来ているのかもしれない。長い年月が経った今では、庭が憩いの場であったような名残りはない。そして公園も、人との交流を楽しむ場というイメージはあまりない。そのために本来の意味とは違う物になってきつつある。私達は公園を共同の場として利用することをもっと意識するべきだ。(書き出しの工夫)(当為の主題)(歴史実例)
そのための方法として第一に、公園はきれいに大事に使うものではなく人間の生活の中にあるという本来の意味をよく考えることだ。上でも述べたように、公園は公衆のためのものである。人々が集って楽しんだり散歩をしたりする場だ。しかし最近の公園には「この芝生には立ち入らないでください」など規制をされた場所がある。ではこの芝生はなんのためにあるのか、ととても疑問に思ってしまう。春になり桜の木がある公園に行くとお花見をする人々で賑わう。マナーがなってない人や誤ってごみを置いていってしまう人もいて公園が汚れてしまう場合がある。しかしそれは人間が生活しているということを示すものなのだ。使っている鍬は光るということわざがあるが、使うことによって公園も光るのではないか。汚れたところには人間の生活がある、それがあるからこそ公園も存在するのではないだろうか。(複数の方法1)(ことわざの加工)
また第二の方法として、人間の生活のためにある公園を増やしていくことだ。奈良公園には野生の鹿が生息している。私も小学生の頃行ったことがあるが、いたるところに鹿がいてしかも私たちに近づいてきて、驚いた記憶がある。このような野生の動物と触れ合える公園は日本では奈良公園ぐらいだろう。動物と触れ合うことで、色々な感性が養われる。特に子どもの時期にそのような経験をしていると、将来のためになるかもしれない。私たちは皆自然を大事にしすぎている。公園で動物を放し飼いにする、食べられる果物の木を植えるなど、私たちが生き物や自然のものと触れ合える場を増やすべきだ。(複数の方法2)
確かに、自然保護は大きな問題になっている。人間の環境破壊によって絶滅するかもしれない種の動物もいるのは事実だ。しかし、公園は静かな場所ではなく人間味のある場所である。日本人の美的感覚はこの際忘れ、私たちが人間らしく生活することを重視して考えていきたい。私たちは公園を人間のためのものとして人間味溢れる場所にするべきだ。
公園に、子供達が自然と触れ合っている姿がたくさん見られるようになるのは、もしかしたら近い将来かもしれない。(当為の主題)(書き出しの結び)
講評 nane
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