国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   平和を目指して   スーランスラケイ

 僕はつい最近「慰霊祭のたびに官僚たちの挨拶が」という長文を読んだ。この長文は作者が気がついた、慰霊祭のおかしい点について述べている。例えば、慰霊祭の時に、犠牲になって戦争の被害で亡くなった人の貢献により、今の平和な世界があるという考えだ。そもそも戦争を最初からやらなければ、多数の犠牲者が出ないはずだと述べている。他にも、作者は広島と長崎に落とされた原爆についても書いている。彼によると、原爆はアメリカと日本の被害者がこれ以上でないために落としたではないかと彼は推測している。終戦になったので、戦争を企んだ人々は一旦は反省したはずだ。しかし、戦争の与える被害を考えられないとまとめている。つまり、最初から戦争を始めないかもしくは、戦争はどのようにしたら防止できるかなど、戦争を起こさない対策を考えていないという問題に、作者は気付いたのである。(要約)反省をすること、戦争をしないように心がけることは別の課題だ。この二つのことについて書きたいと思う。
 まず反省することだ。反省とは「自分の行いを省みること」で、今までのことを補おうとするだけで、先のことを考えないことがある。反省することは、今まで自分が実行した、悪い行動、失敗などを自分がやったことは正しくなかった、と思うことだと僕は思う。例えば僕の学校では、けんかがクラスメートの中で、発生することがある。けんかし始めた理由はともかく、すごく激しいけんかになることがある。しかし、二人もしくはもっと多い人達が、自らの行動の過ちに気付き、お互いに仲直りし合い、元の平和なクラスになる。しかし時々数分も絶たない内に、また違う理由でけんかし始めることがある。そしてまた過ちに気付き、仲直りする。このように「けんかをしては、過ちに気付く」という永遠のサイクルである。だが、まったく同じ事でけんかすることは減っていく。従って、けんかした時の、ある部分だけは、反省したことになり、その分だけは少し学んだことになるかもしれない。(体験実例)このように反省することは、良い結果に向かうことが多い。しかし反省だけをしても、次からけんかが起きないように努力しなければ無意味であると思う。(第一の意見)
 次は戦争などのことが起きないように心がけることの利点である。それは「次に失敗がないように努力」することだろう。日常生活では、欠かせないものだと思う。今日雨が降るかもしれないから傘を持っていく。今日学校で数学の図形があるから、コンパスや定規を持っていこう。さっき友達がけんかしていて、今もしているかもしれないから、この通路は通らないようににしよう。これらの事は、「念を入れる」と呼べるだろう。このような、念を入れることは、戦争やけんかでも必要だと思う。その場で臨機応変に対応するのではなく、次に起こることを予測し他方が良いと思う。前もって、戦争やけんかに参加しないことも良いし、戦争やけんかをやらない、被害者が出たり多くなる前に、自らから降参することも必要だと思う。例えば激しいけんかに巻き込まれてしまったとする、自分は勝ちたいという思いがあるかもしれない。しかしこのままだと、けが人が出てしまうかもしれない。この場合は、プライドやエゴを捨て、自らけんかするのをやめ、争う人々を止める努力をしたほうが良い。(実例) このように、戦争などが起きないように心がけることはメリットは大きい。しかし色々な知識や検討が必要でリスクも高いときがある。これらが、争い事が起きないように心がけることの一番不都合なところだろう。(第二の意見)
 『人が最後まで求め続けるのは、平和と愛だ』(名言)
 「反省すること」も「争い事がないように心がけること」も良い。だが条件がある。それは、他人の平和を破らないことである。誰にも他人の平和を壊す権利は無いはずだからだ。もっとも大事な事は人々が、平和で暮らしていけるように、地球全体が、互いに平和な態度をすれば、これ以上に人々が要求するものはなくなると思う。しかし世界中の人々を説得するのはさすがに大変である。従って、まずは自分の周りから、平和に生きられるように、自ら示す。その後、それに共感した人が、また平和を目指す。最後には連鎖反応が起き、小さい状態から始めた種が、やがて世界を支える木となると思う。ミクロからマクロは道のりが非常に長いが、平和のためなら、誰もが参加することを願う。心の奥底に聞いてみれば、どんな悪人でも、最後には平和がほしいのと願っていると僕は信じている。(総合化の主題)

   講評   isimi

 戦争を知らない世代の子どもの代になる中学生が、平和についてこれほど素晴らしい意見を持っているということを今の政治家たちに伝えたい気分になるような文章でした。項目も内容も素晴らしいですね。好みの問題かもしれませんが、最後の一文を「たとえどんな悪人でも、心の奥底に問いかけてみれば・・・。」としてみると、文章のリズムに抑揚がつくと思います。とてもよく書けました。


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