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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本の教育   かつさ

 最近、学校教育というものの有り方について色々と議論されている。ゆとり教育が良い悪い、教師の体罰がどうのこうの、など、何かと社会的な問題になりがちである。しかし、これら学校の場における問題の多くは、教師や学校そのものに原因があるのではないように思われる。学校制度というものが取り入られてからというもの、子供の教育に対する学校の仕事の比率は上がりつづけてきたが、それまでの教育に関する役割は全てその子供の家庭が担ってきたはずだ。学校だけでは、成されるべき教育を全てこなせなくなってきている今、学校教育ではなく、もう一度、教育の原点である家庭教育を見直すべきだ、と私は思う。
 その根拠として、第一に、やはり他人の教師が行う教育では教えることの出来ない事柄、というものがあるからである。人間が人として生きていく中で、もちろん学校で教えることが出来る教養と言うのはいくらでもあると思う。しかし、自分はなぜ生きなければいけないのか、自分は果たして誰かの為になっているのだろうか、というような、真に人間的な問いに、愛情を持って答えられるのは家族しかいない。いくら、集団で行動する学校の中で、個人の良さを引き出す能力に長けている教師であっても、他人である以上、ここまで深い問いに答える余裕は無いからである。家族であるからこそ与えることの出来る教養というのはやはりあるのだ。
 第二に、学校というのは、公的で社会性の強いものであるが故に、その時分の影響を常に受けて、子供の個性をある一定の方向に誘導してしまう性質が見受けられるからだ。その時代の思想を反映した教育を、皆が同じように学ぶために、子供達は、皆同じような教養を、個性を形作る材料として取り込んでしまうのである。しかも、教育の場において学校が占めるウエイトが高くなる一方の日本において、今後、個性の単一化が進むことは目に見えている。政府も最近は、個性を育てるような教育をしようと「ゆとり教育」なるものを試みたが、結果は燦燦たるものだった。子供への影響の強い家庭の場での教育を見直し、個性をはぐくむ体制を整えた方が効果があるのではないか、と私は思うのである。
 結局、今の日本の教育に必要なのは、一人一人個別に得られる家庭からの教養である。家族からの愛情をうけながら、上辺の知識ではない、人間の本質にせまるような教養が必要なのだ。ただ、何も学校教育が不要だなどといっているのではなく、学校で社会性を身につけ、家庭で人間性を身につけていく上で、そのバランスが大切だと言っているだけである。日本人は、合理的で、秩序を重んじる、非常に社会的な人種であるが、「自分を出す」と言う点においては、どこか苦手意識があるように感じる。だから、それを取り除くような教育が必要なのではないか、と私は主張しているのである。

   講評   nane

 第一段落は、わかりやすい意見になっている。
 第二段落の「人間的な問いに愛情をもって答えられるのは」は、いい表現。具体例はないけど、これで伝わる。
 第三段落は、数字の入るようなデータ実例を入れていこう。データ集から選んでもいいし、インターネットから探してきてもいい。数字は概数でいいからね。
 結びの反対理解もよく書けた。戦後の日本は、家庭教育をないがしろにして学校教育を重点にしすぎてきたところがある。それも、占領政策の一環だったのだろうけど。

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