国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   私というもの   まーたん

 「私」という人間がこの世に存在しているというほど「ふしぎ」なことはない。自分が意志したわけではなく、願ったわけでもないが気がつくとこの世に存在していた。そして、人は「私」を受け入れ、「私」としての生涯を生き抜くことに全力をつくさねばならない。生まれてからだんだんと、外界に対して、それに対立する存在として「私」が意識されてくる。このようにして「私」の実感ができあがってくるようだが、「私」とは何者か、というように比較的はっきりとした形の疑問が生じたり、他と異なるものとして「私」が存在すると感じるのは十歳前後のようだ。子供の澄んだ五感で捉えた世界が児童文学の中には語られている。そのため「私」のふしぎを忘れたたましいのことを忘れて生きている人に、その「ふしぎ」を分からせる点で児童文学は特に優れている。
 確かに、客観的な指標は大切だ。人と比べる事で人間には目標ができる。例えば学校のテストで学年の順位が発表されるのとされないのとではどちらの方がやる気を出して勉強する事ができるだろう?私の場合は順位が発表された方が一生懸命に勉強できると思う。やはり皆と比べて自分が今、どのくらいのレベルにいるのか知りたい。そして自分はどのくらいを目標にして勉強をすれば良いのかが分かる方が良い。今回のテストの結果を元に次につなげることもできる。逆にもしも順位が発表されないと、マイペースになってしまう。他の人と比べて自分の学力がすごく劣っていても気付かずにそのままにしてしまうと思う。
 しかし、同時に人間には他人との比較では測れないものがある。人は皆価値観と言うものがあり、それぞれが違う価値観をもっている。皆が皆、同じ考えを持っているというわけではないのだ。例えば将来の夢。私は将来の夢というものがはっきりと決まっていない。小さい事は「芸能人」「歌手」などと大きな夢を持っていた。しかし、大きくなるにつれて現実的なことを考えるようになってきた。だから簡単に言うと今の私の将来の夢は「幸せに元気に暮らすこと」だ。他人から見れば、くだらないと思うかもしれない。しかしこの夢が叶ったら私は満足だ。私の母も大きな仕事はしていないけれど、それでも十分幸せそうだ。そんな母を毎日見ているので、私も将来、母みたいになりたいと思うようになったのだ。
 このように、人間には他人との比較の中で評価される自分と、自分自身の物語のなかでわかる自分とがいる。どちらもが自分なのだ。私達は他人との比較の中で評価され、自分をより良い人間にするために努力することができる。やはり下のレベルにいるよりも、上のレベルにいる方が自分も良い気持ちになる事ができる。だが、他人とは比較できないこともある。その面では自分で自分のレベルを上げていかなければならないのだ。しかし、一番大事な事は、これらの二つのバランスをとって現実の社会をたくましく生きていく事だと思う。

   講評   kira

 まーたん、こんにちは。4月7日から新しい課題でがんばろうね。


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