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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   両者の肯定   あよう

 便利さや快適さを求める人間達は、科学文明を発達させ、人間の日常から手間をどんどんと省いていった。そのため、現代の子供達、いや大人までもが、本能的なアンテナを張り巡らす必要が無くなってきた。しかし、それによって物事を的確に判断し、決定する力は鈍ってしまった。こんな現代の中で私たちは、生きる喜びを感じることは出来なくなってしまった。心を躍らせ、感動に満ちあふれるようなものが少なくなってしまったのだ。
 「うちの夏は寒いし、冬は暑いねぇ。」母が、エアコンをずっとつけている僕や父にいう言葉だ。普通に考えてみれば、それは逆で、夏が暑くて、冬は寒いのだ。自然でも、また地球の物理学上の理論でも、夏は暑く、冬は寒い。では何故、冒頭のようなことがあり得るのか。それは、人間が自分たちの身のまわりの環境でさえ変えてしまう機械を発明したからである。
 僕はこの状況を別に悪いとは思わない。といえば少し語弊があるが、暑いから涼めるようにしよう、寒いから暖めるようにしようというように考えるのは、人間として当然だという意味でそういっている。地球の自然を破壊することに対して、問題ないといっているわけではない。人間の文明が、自然をないがしろにしてもよい、ということはあり得ない。 つまり、機械が発展することは大いに歓迎であるが、自然を壊すのはよくないという考えである。だから僕は、まず一番上に自然があり、その下に人間(=文明)があるという考え方を大事にしていきたい。
 この考え方を大事にするためには、具体的にどのような方法が良いのか。まず、「良さ」を伝えるという方法がある。その中でも特に、自然の良さを伝えるべきだと思う。文明、機械の良さというのは、どこかの研究所が何らかの機械、技術を発明したというように、よく伝えられる。しかし、自然は、なかなか良さが伝えられることがない。
 例えば、こんな自然の良さの伝え方はどうだろうか。山の湧き水と、浄水器を使った水道水を何人かの人に飲んでもらう。おそらく、自然な甘みの残っている、山の湧き水のほうがおいしいと感じる人の方が多いだろう実際僕も、小学校の林間学校で登った山の湧き水はおいしかったという体験がある      これを、ドラマのクールの間にするしょーもない特番でするのではなく(笑)、田舎の無駄に大きいショッピングセンターで大売り出しする。そうすると、地元でブームになる→地域のローカル放送局が取材に来る→地元の名物となる→今度は全国ネットの放送局が取材に来る→日本国中でブームになる。こうすることで自然の良さが伝わることもあるかもしれない。
 これは、決してふざけているわけではない。機械が発達している現在では、情報がすぐに伝わる。これを利用すればよいのである。結局の所、現在は「機械はもう捨てて、自然を大切にすべきだ」という極端な意見が出るほど、機械の影響というのは大きいのだから、これを利用すればよいのである。
  そうすれば、「自然って良いなあ。人間の原点に戻れたような気がするなあ。」という考えが芽生える。と同時に、「こんな情報を瞬時に伝えられる機械ってなんだかんだいっても便利やなあ。」と、機械の良さも引き出されてくる。
 「良さ」を伝える方法も良いが、これはどうしても、人間の主観に頼る面が出てくる。また、一番始めに僕が書いたのは、あくまでも自然が一番上にある。この考えを定着させるために、発達した文明を駆使して、自然がどうして一番上にあるのかということを証明するという方法もある。
 最先端の科学を駆使して地層を考察した結果、今僕の住んでいる大阪にほど近い和歌山県沖で、もう少しすれば大地震が起こるそうである。しかしその最先端技術は、プレートの沈み込みを止めてくれない。昔からいわれていたことだが、「自然には勝てない」のだ。 これは、昔のように、ただ単に人間が「勝てない」と考えているのではなく、科学的に証明されているのだ。つまり、人間の文明が「自然に勝てない」といっているのだ。
 こう考えると、機械が調べていくことによって、自然の雄大さ、すごさが引き出されてくるのではないだろうか。
 確かに、自然が一番上で、その下に人間があるというのなら、人間の手によって作られた機械が自然を脅かすのはおかしい、もっと守るべきだ、という意見もある。人間が自然の上に立っているという勘違いを直すのが優先だという考え方である。
 しかし、過去に人間は文明を発達させてきたのだから、それを現代に否定するというのはよくない。否定するからいけないのである。文明(機械)は自然を破壊するからいけない、自然は便利ではないというような否定的な考えを持つからいけないのだ。先ほど書いたように、自然が機械の便利さを教え、機械は自然の素朴さを教える。両方を肯定することによって、初めて両方が生きてくるのだ。
 だから僕は、自然が一番上にあり、その下に人間(文明)があるという考えを大事にしながら、決して文明の発展を自然よりも無くしてもよいものと考えず、また自然を自分の行動の中から捨て去ることのないようにして生きたいし、それが、現代人の課題だと思う。

   講評   nara

 うまい! 作文をしばらく休んでいた間に、しっかりと地力をつけていたのだなぁ。説得力のある力強い文章だね。目前の物事に対し批判的な目を持つことは、あまり難しいことではない。完全・完璧なものはそうそう存在しないのだから、物事のアラなど、すぐ目に入るものね。それをただ指摘するだけでは何も起こらない。現実的な方法の提示があってこそ、その指摘が活きてくるのだね。
 第一方法:自然のよさを伝えるために文明を駆使するという、敵を味方に引きずり込むようなアイディアは、実は奇策ではなく王道なのかもしれないな。なかなか思いつかないけれどね。「機械」という狭められたイメージにとらわれず、もっと大きく人間が生み出したものイコール文明ととらえて、自然と対比させていくとよいわけだ。
 第二方法:これもおもしろい。自然の力を科学的に証明するのは、人の主観ではなく文明なのだという意見、これは電話では出ていなかった視点だね。大昔、経験的に・感覚的に「自然は畏怖すべきもの」ととらえていたときに戻るのではなく、現代だからこそのアプローチがあるということだ。
 まとめもいいね。さらりと「現代人」という言葉を使っているけれど、これが効いている。「今をどう生きるか」という視点が大切だ。それは、実のところ、今だけを意識してできることではない。今を意識することで、結果として過去や未来をも考えるのだからね。
 今回、名言は入れられなかったね。それとも、お母さんの「うちは……」は名言扱い!?(笑)

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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