国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   レッテル   くるりんぱ

(要約)『子供』についての共通事項が成り立たなくなったと同時に、ふつうの問題のように対象化し分析的に捉えてもあまり意味がない。このことが最も極端なかたちであらわれているのは、『子供』あるいは『教育』の専門家たちによるレッテル貼りの問題である。子どもたちに対して『非行』や『落ちこぼれ』等のレッテルを貼るのである。(社会問題の主題)このように、すぐに専門家が子供たちにレッテルを貼りたがるのは問題であると、私は思う。
 (複数の原因一)その原因は第一に、専門家が物事を細分化しすぎたためである。(体験実例)私の高校では、数学と英語は習熟度別クラスが実施されている。一番下のクラスは中学の時の基礎ばかりをやらされ、なかなか高校範囲の内容が進まないそうである。確かに成績が振るわなかったから一番下のクラスになったのだろうが、そのクラスの中でもまったく理解できてない人からとそこそこ理解できる人までいるはずだ。だからこのような中途半端な細分化ではなく、普通のクラス分けで授業を行い、わからないところがあれば、放課後の補習で復習をするほうが能率的であると思う。
 (複数の原因二)またもう一つの原因として日本人は区別をつけることが好きである。(社会実例)最近、学習障害児や多動症などの言葉をよく聞くようになった。そのため教育の現場でも、あの子は学習障害児だから成績がだめなのは仕方がない、というレッテル貼りが言い訳につかわれている。
 (反対意見への理解)確かに、専門家に任せておいたほうが何かと安心な部分もある。学習障害児や多動症の子どもは昔から学校にいたはずで、先生たちもそれなりに対処してきたはずである。しかし、このようなレッテルを貼られることで、すべての行動が障害のせいだと言わんばかりのことも多く起こってくる。もちろん目の前の問題を冷静に分析してくことも重要だが、人間同士の付き合いで一番大事なことは、お互いを思いやる心である。(名言)「人間は、人間にのみ救われるのである」。だから、むやみに人にレッテルを貼ることは問題である。


   講評   hota

 今回は、問題が具体的な分、やや書きやすかったのではないでしょうか。なるほど、習熟度別授業にも、そういう問題があるのですね。先生個人に任される範囲の対応と、システムとしての対応は、どちらもあって、うまく機能できるといいですね。

 「ラベリング」ということで言うと、日本人が好きな血液型性格判定も、1つの典型的な例ですね。やはり、何らかの型に入った方が安心できる、日本人ならではの心情が作用しているようです。逆に、欧米人は、型に入れられることを嫌いますね。

 原因の2のところを、「……ということが挙げられる。」などという文末にした方がいいと思いますが、あとは問題ないです。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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