創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

昨日2356 今日419 合計9773
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   木   京急

 数年前、森林関係の研究所に勤務している研究員のところに、ある村の村長が訪ねてきた。その村の森には、それほど多くはないけれど、いまでは希少価値になった天然のヒノキが大きく育っているのだという。そのヒノキをいちばん高く売るにはどうするのがよいのかが村長の問いだった。研究員はいろいろしらべたうえで、後日その方法を教えた。それは玄関の表札にして売るのが有利だというものだった。
 ところがそう話したら、村長はきわめて不愉快そうな顔をした。樹齢二百年を超えた大木が、柱になった後も堂々と建物を支えつづけ、生きつづける姿を思い描いていた村長には、それが細切れにされることなど、容認できることではなかったのである。商品価値を高めることが、木を侮辱することであってはならないと思った。
 「それがあの頃いちばん高く売る方法だったのに」
 研究員は私にその話をしてから、「しかし、村長の気持ちもわかるし」と言って楽しそうにわらった。自分の提案が拒否されたことは、彼にとっても愉快な出来事だったのである。
 木が本来もっている価値を生かすことと、商品として木を高く売ることは、必ずしも一致しない。いまでは天然のスギの銘木は、紙のような薄い板にされ合板に張りつけられて、天井板などになることが多い。それが天然スギをいちばん高く売る方法でもあるし、そのことによって天然スギのもっている木目を比較的安い価格で、だれもが楽しめるようになったと評価する意見もある。しかし、それでもなお私は、山奥の路上で合板にされるために乾かされている天然スギをみかけると、私は村長と同じような気持ちをいだくのである。
 今日では山の木が建築物に変わるまでの間には、次元の異なる二つの過程が重なりあっているのであろう。それは使用価値と商品価値の違いによって生ずるズレ、といってもよいのだけれど、木自体がもっている価値を生かすか、商品としての木の価値を優先するかをめぐって、木にたずさわる者たちもまた動揺してきた。そしてそのことは、ときに力強く木の育った美しい森と経営効率を優先させた森の違いとなってあらわれ、製材や建築の過程では、職人的な仕事と商品をつくるだけの労働の違いとなってくる。たとえば、製材工場を訪ねても、スギやヒノキなどの国産材をひく工場と、輸入材をひく工場とでは、雰囲気がずいぶん違う。国産材は、どこにノコギリの刃をあてるかで木目の出方も変わり、木の価値も商品価値も変わってくるから、木目の出具合を読む職人の経験やカン、コツが工場を支えている。ところが、輸入材は木目も一定のものが多く、しかも大壁工法などの柱のない家の部材になることが多いから、部品をつくる自動化工場のようである。最近では労働力不足に対応して、コンピュータ製材が関心を高めているけれど、それも職人の腕を必要としなくなった輸入材専門工場での話にすぎない。国産材の工場はいまも職人の世界である。
 山の木を単なる商品にしてしまわないためには、職人的な腕が生きていなければいけない。確かに、山の木は、林業家から製材業者へ、工務店から消費者へと、商品として流れていく。ところが、この流れのなかに、美しく、大きく森を育てていこうとする村人の腕や、製材職人の腕、木の特性を生かしていこうとする大工の腕などが健在である間は、木と人間は一体化して、木の文化をもつくりつづけることができる。
 木の文化は、天然のヒノキが細切れの板にされるのをかわいそうだと感じる、あの村長の気持ちに支えられてきた。そして、その気持ちを仕事のなかで実現させる職人たちの腕とともにあったのである。

(内山節(たかし)「森にかよう道」より。一部省略等がある。)
 僕は木や自然を大切にすることが大切だと思う。第一に地球温暖化が悪化してしまうからである。悪化してしまうと、地球はまるでサウナのように熱くなってしまうからである。この前の休日は暑かった。
 第二の理由は部屋から木製商品が消えると、部屋のモノ全てが消えるようなものだからだ。人はすぐに邪魔なものをどけようとする。
 確かに人工が増えろと、木をきらなきゅならないががが、しかし、マンションの上の無駄な屋上を排除し、緑化するベッキーだ。

   講評   nane

 今日は、課題の数が多かったので、5.1週は骨組みだけ。
 要約をしっかりやっていこう。三文を抜き書きする要領で。
 今日のテーマは、人間と自然の心の交流のようなところ。
 これまでの人間は、自然を経済的価値観からだけしか見てこなかった。だから、雑木林は役に立たないけど、杉林は役に立つという考え方だった。
 こういう考えももちろん大切だけど、実は、役に立たないように見えた雑木林の中に、生きた動植物の世界があるとわかってきた。
 今回の長文は、これからほかのテーマで書くときの実例としても使えそう。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)