国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   専門の大局化   ノンキィ

 出る杭は打たれる—戦後の日本の教育制度の中でこの諺は暗黙の了解だった。そして高度経済成長の一段落ついた今日、そのような制度に生じたほころびが発見され、教育改革という形で繕われようとしているが、一様な高さに揃えられた一様の寸法の杭が一面に打たれた自体を、それでも未だ至るところで感じる。堅実で粒の揃った働き者として地位を確立させた日本が、更にこれから新たな局面を向かえるであろう世界の中で重要な位置を守り続けるためには、より大局的な視野を持たねばならない。
 日本の足踏みを示唆する兆しはあらゆる面で見受けられるが、そのうちのひとつが日本の優秀な人材が好んで欧米へ流出してしまうことであろう。日本では、次世代に通用する学問・研究が出来ないことが影響するようだが、それは我が国の、専門という語の狭義性に要因する。例えば欧州では医学部と法学部を並列して学ぶ学生が大変多いし、エリートと称される知識人階級の人々は、工学や理学の専門でも文化や歴史に精通している(ことが求められる)。ルネサンス期の万能人を理想とする思想が少なからず人々の根底にあるようである。それに対し日本はどうだ。幅広い多岐にわたる文派に通じる知識人はごく少数で、後は自ら大学で選択した分野だけを究めて、さも何でも知っているかのような顔をしている。その結果、全体を鳥瞰すると一様な杭が行儀よく並んだ面白みのない風景しか見られないのである。もう一つの原因として、日本人の過度な基礎重視振りが上げられる。いや、後ろ応用の軽視に問題がある。日本人は教育において基本の学問を徹底させるところに重きを置きがちである。たとえば私は中学のころから、中高大連携授業との名の下で中学生の教育課程に比べ遥かに高度な講義を聴く機会に幾度か恵まれた。内容の理解という意味では、それは中学高校生には不相応なものだったかもしれない。だが、普通なら「物理」や「生物」という細かい分類が通用するほどの基礎の部分しか学べない時期に、それらを越えた応用部分すなわち細分化された分野が相互に重なるものだという認識を得られたのは私たちにとって大きな幸運であった。
 もちろん全てにおいて、応用は基礎なしにはありえない。しかしそうとはいえ、基礎は応用に発展しなければその価値を十分に発揮することは出来ない。専門分野を究めるということの日本における狭義性は、この基礎ばかりに目を向ける傾向の当然の結果ではないだろうか。応用は基礎なくしては成立しないが、その逆もまた然りなのである、そして基礎から応用へと進む中で、学問の幅広さは自ずから認識されるはずである。現代の日本がこれからどのように発展してゆくかは、すぐ答えの出せる問題ではないが、見直せる点は多そうだ。

   講評   nara

 手書きのものから選んでオンラインで清書したものを、森リンでチェックするのはおもしろいね。解析ソフトの評価は機械的に出されるけれど、読み手(人間)の評価とかなり重なっているようだ。であれば、人の評価は不要かというと、もちろん「否」だね。
 これからテストや部活が忙しくなる時期だけれど、無理はしないようにね。(とはいっても……というのが、正直な気持ちかな。)

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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