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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本がいかに湿潤な国か   あよう

 日本人の魂の奥底には、いつも水音が響いている。それがどのような音かということは、水音を表現した擬態語、擬声語がその微妙な音を様々に伝えている。日本語にはそれがきわめて多く、他の国の人にはさっぱり通じない擬態語、擬声語も多い。なぜなら、擬態語、擬声語というのは、あくまで感覚的な言語であって、言語の重要な性格である抽象性を持たないからだ。
 先月は文明と自然の話だったから、そろそろ欧米と日本の対比の話が来るのではないかと思ったら、やはり来た。(笑)
 ぼくはよく理屈っぽいといわれる。おそらく、言葉をよく使って話すからだろう。皆言葉をよく使って話しているのだが、ここでいう言葉とは、擬態語、擬声語を使わずに話すということだ。そう考えると、擬態語、擬声語を使って話すことは、何か幼稚なイメージを持ってしまう。しかし、長文にあったように、擬態語、擬声語は、人間の感覚そのものを表したものなのだ。だから僕は、人間の内面的な感性を表した擬態語、擬声語こそが、人間の言語そのものであるという考えを大切にしていきたい。
 その方法として第一に、日頃、感性を研ぎ澄まして生きるという方法がある。幸い、日本人はたくさんの擬態語、擬声語の中で生活している。だから、色々な場面で感じたことが、何らかの擬態語、擬声語にあてはまるということが可能なはずだ。
 僕も昔、「ジュクジュク」という擬態語はどのような感覚なのかわからなかったが、あるとき、我が家の冷蔵庫の奥から傷んだトマトが出てきた。その時僕は、「これがジュクジュクという状態か」と思った。自分が傷んだトマトを見て感じた状態が、「ジュクジュク」という擬態語にピタッと当てはまったという体験である。
 感じたことに、擬態語、擬声語が当てはまるような経験を通じると、自分の中で、「こんなにもストレートな表現があったのか」と思える。そうすると今度は、それを人に伝えたくなる。それで段々と大切さが伝わっていくのだ。
 先ほど、感性に擬態語、擬声語が当てはまると、それを人に伝えたくなると書いた。人に伝えると、さらにその人まで共感してくれることもある。イメージを共有するということである。このように共有し合うことが、第二の方法である。
 イメージの共有が出来るようになると、意思の疎通が容易に出来るようになる。たとえ理屈で説明したとしても、相手にわかりにくい言葉、言い回しだったり、相手が想像しにくい状況であったりした場合、伝わらないことがある。それが、イメージで考えた場合、具体的には分からないまでも、「何となく」分かる状態になる。それでも、意思の疎通というものは出来る。英語の苦手な日本人が、英語圏の国で、「アイ ウォント トゥー ゴー ショップ アー パン とか売ってるそのープリーズ ミィー 教えて。」と、身振りを交えて言うだけで、パン屋を教えてもらえるのがよい例である。この場合、人間の言語感覚を司る左脳ではなく、感受性、芸術性を司る右脳に訴えかけるというふうにも考えられる。
 確かに、自分の意見を述べるときに、自分の感覚で得た擬態語、擬声語だけで話すと、相手が分かってくれるかが分からない。それよりも、理論立てて、相手に納得してもらうべきだという意見もある。
 しかし、相手が頭の中で理解したとしても、体で感じなければ本当に納得したとは言えないのではないだろうか。
 「寒さに震えたものほど、太陽の暖かさを感じる」という名言があるが、これは、「年間平均気温が12度しかない所では、ねん2,3回しかない25度以上の日を大歓迎する」ということではない。人が、「ぶるぶる震えるような寒さだ。」と感じる。そうすれば、「ぽかぽかして気持ちいいね。」と感じる。寒くてぶるぶる震えた人たちが、暖かさを、「ぽかぽかして気持ちいい」という感覚、イメージを共有しているということなのだ。
 だから僕は、擬態語、擬声語を大切にして、イメージを共有することによって、たくさんの人たちと意思の疎通をしていきたい。また、感覚を色々な手段で伝えられる人間の本質を大切にしたい。
 イメージの共有。それは、感覚を伝えるタイプの言語の中では、最も大切なものである。それが可能になると、人間としての幸せを1つ見つけたことになるのでは無かろうか。

   講評   nara

 はい、パターンを読まれてしまったね(爆)。この手のテーマは、歴史や落語と並ぶあよう君の得意分野。なるほどと頷くところがたくさんあって、読み応え十分の作品だね。
 「理屈っぽい」と言われる自分自身を振り返りつつ、擬音語擬態語のよさに踏み込むあたり、謙虚さと積極性が混ざり合っていて神村君らしい。理屈っぽい面があるからこそ、擬音擬態の有効性に気付かされる場面も生まれるのかもね。
 第一方法の題材はいいね。トマトの状態からピンときた「ジュクジュク」の感覚。「痛んだ」「水分がにじみ出た」などの共通点が見つかれば、「転んでできた傷口がジュクジュクとして……」と表現された状態も、すっと頭に浮かぶね。ここからうまく第二方法の「イメージの共有」につながっていく。左脳右脳の話もおもしろいなぁ。確かに、理屈だけで話を進めていくと、その言語そのものを知らなければ、伝わりようがない。「感覚的に理解する」ということを、私達は頭でっかちになりすぎて軽んじている面があるのかもしれないな。
 名言の引用というか加工というか、「寒さに……」の使い方は秀逸だね。「ぶるぶる」「ぽかぽか」を使った説明は、平易でわかりやすい。それだけでなく、「平均気温が……」よりもこのことわざの真意を表しているね。まとめの「人間としての幸せ」というと大げさに思う人もいるかもしれないけれど、イメージの共有は言い換えれば「分かり合う」ということ、これはまさに幸せに他ならない。今回もいい仕上がりだったね。

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