国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   周りの本   あよう

 読書の楽しさの中で最大のものは、いつでも、どこでも出来て、別世界に入り込むことが出来るという自由感である。その別世界の中で、私たちは思わぬ人生の寂しさや、孤独感、それに人々の愛にふれあうことが出来る。そうなると、読書は単なる楽しさから、もっと深い、複雑なものへと変わってゆく。読書によって、スポーツや映画や音楽の楽しみが、一段と豊かになり、深くなることもあるのだ。 僕が読書をするとき、どういった本を読むかというと、大体が、推理小説的なものに限定されてしまう。その理由は、テレビでサスペンスを見て興味を持ったからというのが主な理由である。僕の場合、それまでも本をよく読んでいた方なので、すぐに、「本、書籍を探す」という風に考えられた。このように、興味を持ったことについて、すぐに本を探す、そして本を読んで夢中になれるような生き方をしたい。つまり、僕だけにおいてよくある、訳の分からないものに対する興味、疑問の解決の手段として、本を利用したいということである(笑)
 その方法としては第一に、自分の身のまわりに、絶えず本があるという状況を作るという方法がある。やはり、自分の身のまわりに豊富な本があれば、自分の疑問に対する答えになるような本や、自分が夢中になれるような本がある確率が高まる。
 先に書いたとおり、僕は訳の分からないものに興味を持つことが多い。例えば、小学校4年生くらいのとき、古墳に興味を持った。僕の母親は、僕が夢中になれそうな本を探してくれた。しかし、なんせ題材が古墳である。なかなか、そんじょそこいらの書店では見つからない。そこで母親が、「取り寄せ」という奥の手を使ったことで、やっと見つかった。僕は、それで、夢中になれたという体験がある。これは、そこにそれだけ豊富な本があったということである。絶えず本のある状況とは、絶えず本を意識するということでもある。 また、本が豊富にあっても、それを活用できるかというのは、自分自身の問題になってくる。そこで、自分自身が、本の世界に夢中になるように考えてみるという方法もある。 長文で、「本を読む楽しさに、自由感というものがある。」と書いてあったが、ここでの自由感は、自分自身が本の中の世界に夢中になるという自由感と、どうすれば夢中になれるかということを探す自由感の2つがあるのでは無かろうか。夢中になるように考えてみる。これをも、「探す自由感」というように捉えられるようになれば、読書はとても楽しくなる。つまり、夢中になれるということである。「読書は、枠に当てはめてはいけない」というのは、「本の楽しさは人それぞれだから、自分で探しなさい。それは自由ですよ。」ということなのだ。
 確かに、2次元、或いは3次元でものを解決しようとし、またそれの方が夢中になれるという現代人の感覚からはずれている、という意見もある。しかし、「人間は、求めている限り、迷うものだ。」という名言があるように、人間が夢中になりたいというように求めている。だから迷っている。その時、その迷いを取り去って、夢中になれるような材料を与えてくれるのが本なのである。それを自分自身が、自分なりに料理して、夢中になれるようにする。そうすることで、自分の興味がより深いものになるのだ。
 僕は、周りに多くの材料を用意し、それをうまく活用していきたい。材料を利用できれば、そこからより興味が広がるかもしれない。自分の場合、その興味がどの方向に向かうかというのは大きな問題だが・・・。

   講評   nara

 古墳ネタも「懐かしい」と思えるほど、あよう君も学年を重ねたのだねぇ。古墳も野球も落語も、おもしろいと思ったものにのめり込むのが、あよう君の個性だ。その個性を色濃くさせる役目として、本が大活躍しているのだね。本のいいところは、一つ読んで終わりということではなく、縦横無尽に関係書籍を広げ深めていけるところだ。古墳から古代史全体につながったり、他の国・民族の葬祭方法に興味が出たり……とね。
 第一方法の「絶えず本を意識する」というところはいいね。続いて「本が豊富にあっても、それを活用できるかというのは……」とあるけれど、まさにここが現代の問題点だろう。意識をしないというのは、存在しないということと同じだ。書店に並ぶ本も、ネットを通じて買える本も、世の中にはたくさんある。なのに本が読まれていないといろいろなところで報じられるのは、意識が本に向いていないということなのだろうね。第ニ方法:「探す自由感」これもおもしろいな。長文最後辺りに「我慢をして読書をしていた人は、目的を達すると……」とある。我慢の読書とは自由感の対極にあるものだ!
 最後は「さげ」? 人の興味の方向にも「自由」があっていい! 数多ある本は、たくさんの人々がそれぞれの自由を満喫した結果を、一つの形にしたものととらえるといいかも。それを別の人が自由に選び楽しみ、自分の関心を満足させていく。そういうことを思わせるまとめになったね。

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