国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   社会の中の個人   みかん

 子供は社会生活を始めたとき、人や物が固有名詞で呼ばれることを知る。この過程を通じて、自分は一つの制度の中に繰り入れられ、ある組織に所属するのだという意識を植え付けられる。自分は自分であって、それ以外のものではありえないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している、というこの原理は、言葉の原理そのものから発しているように思われる。一人ひとりが固有名詞で呼ばれないような現代の私たちの社会は問題だ。
 その原因として第一に考えられるのは、日本の社会には昔から個人というものを尊重しない風土があったことだ。特に女性に対しては顕著であった。古典の授業で習ったのだが、「更級日記」を書いた「菅原孝標女」は、女性だったために本名が分からず、それゆえ「孝標」の娘、というややこしい名前になったという。今の社会でも、時々、○○さん家の娘さん、息子さんという言い方を耳にする。また、学校にいるときは、○年○組の○○、というように、必ずどこに所属しているかを述べる場面がある。日本の社会は基本的に、個人名より所属を重視する傾向があるのだ。
 第二の原因としては、日本の近代化が工業化によって進められてきたことが考えられる。つまり、モノがモデル化するということが主流になったのが原因で、マニュアルが横行してしまったのだ。マニュアルがあると、その通りに動けばいいので、誰でもそう大差はなくなる。そうではなくて、○○さんでないとできない、となるのが理想の社会ではないだろうか。
 確かに、これまでのように固有名詞を考えないほうが社会としては効率が良い。しかし、社会というのはただの大きな塊ではなく、個人個人が集まってできた集団である。その個人が見えなくなるような社会は問題だと捉えるべきだ。

   講評   kira

 みかんちゃん、こんにちは。次回6月6日は進級テストです。がんばろうね。


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