創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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心に秘めている美の感情 こゆき
「友達が明日来るから、掃除しなきゃね!」
<書き出しの工夫>自分の家、というものは、どうしてもいつもきれい、という訳にはいかない。どうしてか?それは、日々の日常に「ゆるみ」が生じるからである。普段、他人が毎日自分の部屋を見に来るのでもないし、生活にこの「ゆるみ」が起こってしまうのも無理はない。だが、友達が家に来る、という日の前日ほど忙しい日はない。特に部屋が普段散らかっている人の忙しさは尋常ではないだろう(笑)<ユーモア表現>。その動作は、友達に、部屋がきれいな事を「見せつける」ために「よそおっている」のである。<似た話>
家庭訪問、懇談会・・・。学校の担任の先生に、私の事を母が話す時は実に多い。そうした時、自分の事をどんな風に思われているか?どんな風に言われているか?・・・とても不安になった事は誰でもあるだろう。私もそうだ。先生に、自分についてどんな感じに言われているのかと、なかなか聞こえない二人の話に不安を感じる。そんな中で笑い声なんかが混じると、自分の事でなにかおかしな事を言われたのではないか?という気持ちがどんどん深まる。自分の事を正直に全て言われると、「なんで、もうちょっと良い感じにいってくれないの?!」と怒りそうになってしまう。というより、それを通り越して恥ずかしさの極致に達してしまう事もある。それは、人間が「見せつける」「よそおう」という意識があるからなのだ。そして、そう考えてしまうのも当たり前なのである。<体験実例>
人間というのは、人に見せる自分と、人に見せない自分の二つの意識を秘めている。私が良い例だ。人間にとって「見せつける」「よそおう」などという感情は、一つの心であって、当たり前な美の感情なのである。まじめな人も、内心に面白みを持っていた、というのはよくあることだ。「嘘も方便」というように<ことわざの引用>、そういう八方美人な所があってもいいのである、ということが分かった。<分かった事>私と母と姉は、片付いた部屋を見て、すがすがしい思いになっていた。わざとらしいきれいな部屋は、まるですましている<例え>ようだった。<書き出しの結び>
講評 koni
ていねいに清書できましたね。読解問題にも挑戦できました。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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