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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   季節に気付くとき   あよう

 ついこの間、風邪を引いてしまった。鼻が詰まり、のどが痛く、咳が出た。自分は毎回、季節の変わり目に風邪を引く。だから、「もう秋だな。」「冬も終わりだな。」なんて感じるのはいつも病院の待合室だ(苦笑)。
 世間一般が季節の変化を感じるのは、大体衣替えとか、風、虫、花などなのだそうだ。みな自分にほとんど関係のないことばかりである。それでは自分が生きているという感覚が少し鈍るのではないだろうか。      自分以外のたとえば虫が鳴いたとすると、それで季節を感じる。自分は何も変わっていないのに、何か変わったように思える。単なる思いこみだと私は思う。もっと、自分自身の中で、変わった、変化したことがあれば、それによって、時の移り変わりを感じるようにするべきである。
 その第一の方法として、今までの感覚を利用するという方法がある。今までの感覚というのは、自分以外のものから、自分以外の変化について感じる、「季節感」のことである。これを自分のことに利用するのだ。 
 具体的にいうと、ある年の夏に、自分の転機になるようなことがあったとする。つまり、自分自身に変化が現れたのである。すると、その人は夏が来る度に、「あのときこういう風に変わったんだなあ。」と考えられる。世間がセミの声や喫茶店のきつい冷房で夏を感じている中、そういう人だけが、自分だけの変化として夏を感じることが出来るのだ。
 また、第二の方法としては、自分だけの季節というものを作ってみるという方法がある。日本列島自身が、四つの季節を持っていると考えるのである。それを自分自身に置き換えるのだ。そして自分の○季、四季でも六季でも、三十二季でもいい。自分だけの暦として区切るのである。
 では、これをしてみたからといって、何か今までとは違ったものが得られるのかということがある。何が得られるか。それは多分、自分自身が変化するための意欲では無かろうか。
 変化するためには、「変わろう」という意欲が最も重要なのである。その意欲を持てたのはいつなのか。持ってから、変わるまでどの位の時間がかかったか。変わったことにいつ気が付いたのか。それらを考えていくと、必然的に自分の暦が出来上がってくる。それは、次に自分が変わる意欲を持ったとき、自分が変わるのを楽しみにすることが出来る。また、もっと大きな意欲にもつながるのだ。 本能寺の変で有名な明智光秀は、謀叛する直前、ある変化をしている。それはもちろん、信長への忠誠心から叛意への心情の変化である。これを歌に残している。『時(土岐)は今雨(天)がした(下)しる五月かな』これは、一見五月だなあという季節の変化を歌ったものに見える。が、実はときは自分の出身の土岐氏を表し、あめがしたしる、つまり天下を知ると書いている。自分の心情の変化、つまり自分の暦は、世間の暦の五月だったということである。知っての通り、変化により強い意志を持って信長を討ったという歴史がある。
 確かに、季節があるからこそ、それを感じるからこそ、新鮮な気持ちを持つことが出来るという意見もある。この新鮮な気持ちというのは、気持ちが変化、結果的によい方向へ向かう変化の為の大切な要素である。事実、学生が勉強する気になるのは、新学年や夏休み明けといった、季節的な変化が多い。
 しかし、、現状では、「季節が変わった。良いものだなあ。気分も新たに頑張ろう。」と思っているだけで、やっていることは前と変わっていなかったりする。自身が変わろうとしている部分というのは、そこからは何も見えてこない。
 だから、方法論で述べたとおり、その季節の変化を自分自身の意欲につなげていかねばならないのである。そして自分の変化に気付くまで、季節の変化に浸っていてはいけない。なぜなら、季節とは本来、人に変化を気付かせるためのものではなく、人が変化することによって気付くものであるからだ。
 私も、鼻が詰まり、のどが痛く、咳をするという変化があったからこそ、待合室で秋を感じることが出来たのである。そんなことでは、「早いこと風邪を治そう。」という程度の意欲しかわかないのであるが。

   講評   nara

 冒頭はあよう君らしい笑いを交え、そこから「自ら季節を感じる」に話を持っていくのは、さすがの展開だな。確かに、私たちは「秋になったからセミが鳴かなくなった。」ではなく、「セミの声が聞こえないし、スズムシが鳴いている。だから、秋なのだ。」という思考回路になっている。自らの体感とは別の次元なのだね。ここは鋭い指摘だし、風邪をひきやすいあよう君ならではの主張だ。
 「自分の体感暦」というのはおもしろいね。おそらくは、今ある暦の基本も、多くの人たちの体感変化の共通項から編み出されたものだろう。しかし、それが現代人からかけ離れてしまうと、体感ではなく知識としての暦になってしまうのだろうな。そこに自らの体を物差しとして、新たに暦を作ってみるというのは、とても具体的な提案だと思うよ。季節の名前も自分で付けるという遊び心があると、もっとおもしろそう。
 複数の方法に続けて述べた「何が得られるか」という説明がいい。変化と意欲との深い関係性が、説得力を持って述べられた。歴史実例の用い方もうまいね。本領発揮というところかな。日本人は、「違う・変わる」ということに否定的だったり消極的だったりする。保守的な面が強いのだね。しかし、その一方で季節の変化ということには、常に敏感だった。その敏感さを自らの中にも取り込んでいかなくてはならないのだな!
 中盤の論のおもしろさが、まとめの強さをうまく導き出している。今回の作品は、風邪がもたらしてくれた力作ということになろうか。体を張って書いた作品だものね。とてもおもしろく読めたよ。秀作だ!

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