国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   他人を信頼することの大切さ   まる

 生きる理由が見当たらなくなったときに自分が生きるに値するものであることを納得することは難しい。子供の教育において第一になすべきことは人生が楽しいということ、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを体に覚えこませてやることだ。社会において規則が成り立つのは相手も同じ規則に従うだろうという相互の期待や信頼が成り立っているときだけである。身体に想像力を備えさせてやることで他人を思いやる気持ちを、つまり共存の条件となるものを育むのである。私は他人への根源的な信頼を大切にしたい。
 そのための方法として第一に自分の経験を相手に伝え、互いに技を高めあう経験を積むことだ。ある日私は母の留守中に夕食を作った。母にはあらかじめ
「暇なときにトウモロコシの粒をむしっておいて。」
と言われていた。しかし私はその時無性に焼きトウモロコシが食べたくなった。一度も作ったことがなかったが勘を頼りに作ってみた。(ただぶつ切りにして焼いただけだが)結果は悲惨だった。ぼそぼそでカチカチで、食べられたものではない。帰ってきた母に
「何でこんなことしたん。むしっておいてと言ってたでしょ。」
と怒られた。そしてさらに
『素材の声を聞きなさい。』
と言われてハッとした。自分の食べたい物を素材の状態を見ずに無理やり作っていたんだと思った。そのトウモロコシは日照りのせいで元々しわしわカチカチだった。それを焼いたらさらにカチカチになるのは目に見えている。母によるとこういう素材は蒸すか茹でるしかないらしい。この経験から私は素材を一旦よく見てから料理に取り掛かるようになった。素材の固い、柔らかい、熟れてない、熟れすぎなどを考慮しながら、これにしたら美味しいんじゃないかと考えてから料理する。するとどうしようもない素材からとってもおいしい新メニューが作れたりする。このカチカチトウモロコシはその後、ごはんと一緒に炊くことにした。すると意外にもおいしく母にも大好評だった。今ではトウモロコシごはんは我が家のご飯物レシピの一つになっている。失敗して怒られた時は「やっちゃた。自分料理のセンス無いな。」と思った。しかし母が怒りながら発した一言は自分の料理感を変えてくれる一言だった。怒られるとムカっとしたり、やる気を失ったりするがいつも私のことを思って言ってくれている。自分の人生経験を伝え、相手の人生も豊かにしていくことは信頼感を生む。
 第二の方法として学力偏重の教育方針を改めることだ。私はゆとり教育が始まったとき中学生になった。ゆとり教育では絶対評価が取り入れられた。授業中に質問をしたり、発言をしたりして一生懸命授業に取り組んでいる子はみんないい成績をつけるということが行われた。中高の時はあまり意識しなかったが、大学へ行くとその効果が顕著にわかった。最近ゆとり教育を見直しまた元の学力偏重の教育に戻そうという世論がある。しかし私はゆとり教育には成果があったと思う。大学で出されたレポートを書く時だ。組織論というレポート課題は「あなたの身近でリーダーシップをとっている人(二人以上)にインタビューして組織論の論点と照らし合わせて考察せよ。」というものだった。これは困ったぞと思い、父や母に相談したがとりあえず一人目はバイト先の社長にお願いした。自分で質問内容を考え、社長の空き時間にお願いした。普段使わない敬語を使う上に組織論に沿うように話をしなくてはならない。いろいろ自分で考えながら昔も今も先生方にいつもしつこく「質問はありますか。」とか「分からないところはありますか。」と聞かれていた意味がわかった気がした。質問するという自分で考える力は学力偏重の教育では身に付かない。でも社会に出たら数学や英語などの知識が必要な時もあるが、「ほうれん草」が大事だと感じる。社長にはいつも報告・連絡・相談を怠って注意を受けるからだ。二人目は父に相談したことでなんと元総婦長さんにインタビューできることになった。バイト先の社長よりもっと真剣に質問内容を考え、言葉遣いにも気を使ったが、とてもいい話が聞けた。自分の進みたい方面のリーダーに話を聞けて本当に為なった。周囲の人に相談することで自分では思いもつかないような人から話を聞けたりする。私はゆとり教育で学んで人に質問するという自分で考える力がついたと思う。だから学力偏重の教育方針は改めるべきだ。
 確かに人間は自分自身に対して孤独に問いかける体験も必要だ。社長や婦長への質問は自分自身で深く考えなければならない。だが婦長に看護師になった理由や苦労したこと、その時どういう対応をしたかなど自分の将来に直結するとてもよい話が聞けた。そして私自身も看護を目指した理由を話せた。「自分が考える通りに生きなければならない。そうでないと自分が生きた通りに考えるようになってしまう。」という名言にもあるように人と話せば自分を見つめなおし、自身を確かめることもできる。やはり他人を思いやり信頼することは大切だ。

   講評   hutu

今月も力の入った作文を書くことができました。


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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