低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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国民的価値観 ビーバー
今の社会、みんな建前を競って生活している。政治家も建前ばかり気にして、そのせいでよい政治ができていない。私はそう考えるが、その根拠は複数ある。明治時代以来続く学歴社会は「大学」という一種の建前によって形作られているものであり、会社でも問題になる「名ばかり管理職」も建前として管理職を持った結果である。私は、建前が全てではないと思っている。部活でも幹部から低学年まであまり役職にはこだわらずに活動できている。それは全員「うちの部は学校の花形である」という共通認識をもっているからであろう。だが、社会ではそういった共通する価値観というものがなくなってしまった。私は、社会が共通する価値観を失って、個人が自分の従う場所に行かずに自分の意見をもたず、各個人が付和雷同になっている社会は問題だと思う。
その第一の原因は、目標を持つということができない人が増えてしまったことである。昨年の12月ごろ、私の学校では文系と理系に分かれるための手続きを行っていた。そのときに教員に言われたのが、決して「友達が行くから」という理由で文理を選択しないこと、ということであった。私は少し悩んだがほぼ問題なく理系を選択した。しかし、先ほどの理由で文理を選択する人は多く、その原因がまさに、目標を持たずに勉強している、ということだというのは明らかである。昨年もそこそこいたらしいが、やはり現代人は自分の目標がはっきり決まっていない人が多いようである。
その第二の原因は、大きな共通の何かを持つということに、現代の社会が不信感を抱いていることである。ところで、今の日本は何か共通の民意を持っているだろうか。おそらく、みんなバラバラである。ある人はノーベル賞、ある人は金メダル、ある人は出世。欧米に追いつくという目標を成し遂げてしまった現代日本人は、もはや闘争心を駆り立てる目標もなく、士気が下がってしまう。ここで目標がなくなると、次に目標をもつことに不信感という抵抗が生じてしまう。すると「人のふり見ても我がふり直さず」となるもよろしく、闘争心を失うと他人の努力を見ても自分は努力しなくなるのである。(ことわざ)
確かに、建前とは言ってもそれなりに力を持っているし、ないがしろにはなかなかできないものである。しかし、自分の目指す目標や集団の士気を上げる目標を持つことほど重要ではないのだ。「建前は自分の地位を示すものではなく、温度のない努力の結果を示すものである。」そう、建前には温度がない。人間らしくない。それに比べて目標に向かって前進するということが、どれだけ人間らしいことだろうか。目標を持つ人が少ないという問題な社会よりも、全体が大きな共通認識や共通の目標を持てる社会の方が生き生きしている。日本も大きな一つの目標を持ってまとまったらどうだろうか。これだけバラバラでは、良くなる政治も良くはならない。(書き出しの結び)
講評 nane
冒頭の主題がやや複雑だった。説明文をもとにした感想文だから、主題はいろいろなとらえ方が可能。
大きなところでは付和雷同、小さなところではどうでもいい個性の発揮に汲々としているという感じが、今の社会にはあるね。
理系の選択は、長い目で見たらプラスになるはず。受験のために勉強するのではなく、将来のために勉強するのだから、幅広い知識を持っていた方がいいからね。
「人のふり見ても……」はおもしろい加工。
建前の名言も、個性的。建前というか、肩書ということかなあ。
全体に、今日は密度の濃い文章になったね。
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