国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人と喧嘩   ニンジンスキー

「喧嘩をしたことがない」
こう言ったら驚かれるだろうか。実は、私自身のことである。友達との喧嘩は、した覚えがない。親子で言い争いになったりすることがあるが、何気に早めに「終戦」している。友達と喧嘩するなど考えられない。幼稚園の頃に友達と喧嘩になりかけたことがあったが、その「議題」は
「物事には仕返しをするか、しないか」
というちょっとした言い争いで、「喧嘩」とは言えないほど幼稚で、しかも本人たちにも分からない間に終わった喧嘩であった。私は今まで喧嘩はいけないことだと思っていた。けれども、重松清の「きみのともだち」を読んで、今までの考えが変わってしまった。その話は、主人公、和泉恵美と彼女をとりまく人たちの友達関係についての短編集である。喧嘩を通して、今まで話したことさえなかったクラスメートの良い面を見つけられたり、いつも厳しい部活の先輩の弱いところを見つけられたりする…などの話が沢山入っている。だから私は喧嘩はいいものだと思うようになった。
 その理由は第一に、喧嘩することによって、喧嘩の相手のことが理解できるからだ。喧嘩は本心むき出しでするものだと思う。そうすると、普段感じていた相手のイメージと違う面を見られるかもしれない。それが良い意味であれ、悪い意味であれ、相手の「こころ」をのぞけるのだ。それでもし、「良い意味」ならば友情を確かめ合う大事な機会となる。逆に、「悪い意味」ならば相手の見たくない本心が見える結果となる。つまり、良い喧嘩をすれば良い友達を作ることができるのだ。
 その理由は第二に、自分の立場を決めるチャンスだと思うからだ。喧嘩では、自分が考えてもいなかった自分の本心が分かると思う。「アイデンティティ」とも言えるかもしれないが、
「つまり、それが私」
というものが分かる。「優柔不断」や「八方美人」ということばが示すような妙なもやもや感(笑)をなくすには一番良い。広い世界の中で、自分はどんな道に進んだら良いのか。その答えが喧嘩によって得られるはずだ。
 確かに「喧嘩」というと激しいイメージがあるし、しないほうがいいかもしれない。けれど、暴力的にならず、自分の気持ちを全部出し切るのは「他人から尊重されるためには、まず自分で自分を尊重できなければならない」という名言が示しているように、自分を尊重して表現するのは良いことだ。「人間関係における意識調査(読売新聞 2004年)」によると、
「電子メール、携帯メールの方が気もちを伝えやすいか」
という質問に「はい」と答えたのは28%、「いいえ」と答えたのは64%というデータがあるようだ。人はやはり「話す」動物なのだ。相手と喧嘩するときも「話し」ている。これからも、言葉を与えられた者として、その言葉を精一杯使っていこうと思う。

   講評   hira

改めて「喧嘩」について思いを巡らしたことがわかる清書でした。この歳で考える楽しみを知っているとはうらやましいぞ(^^)!

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