国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   補助輪をはずすタイミング   あよう

 子供の技能が繰り返しによって進歩していくと、こどもは内発的により難しい課題に興味を持つようになる。親はこれにブレーキをかけてしまわないように気を付けねばならない。まず、賞罰によって子供の行動をコントロールしすぎないことである。それよりもむしろ、子供の活動や自己向上が促進される、ように環境条件を整えてやるとともに、子供の内部にある知識や価値基準を明確化し、行動の手助けになるべきである。
 私は物事が上達するのが人よりも遅い。不器用な上に、不精者で、最終的にはやる気が無くなってしまう。やはり物事が上達するには、やる気が必要である。特に子供の場合ではなおさらである。つまり親が子供に、上達させてやりたい場合は、子供のやる気を引き出すような方法を探すべきである。
 効果的な方法として第一に、子供の性格から、方法を探るという方法がある。私が小さい頃最も辛い記憶として残っている自転車の補助輪はずしで例えると、2通り考えられる。「早く補助輪はずして。」と言うタイプと、「もう補助輪はずすの。怖いなあ」と言うタイプである。前者の場合、「よし、はずしてやろう。でも、最初のうちはあんまり長くこぐんじゃないぞ。」と、やる気を損なわない程度に無理をさせないことである。後者だと、「怖いのはもちろんそうだ。ちょっとだけこいでみれば。転びそうになったら、お父さんが支えてあげるから。」と、もし失敗したときの受け皿のようなものを提示してやるのよいだろう。
 つまり、どんどんやりたがる積極的な子には、その積極性をより安全に出来るよう活かしてやる。すこし怖がったり、後ろ向きな子には、失敗しても大丈夫だということを保証した上で、恐怖を少しずつ「あれ、大丈夫だなあ。」という自身から来る安心に変えていけばよい。
 そのほかの方法としては、手本や、目標にするような相手を子供に見つけさせるという方法がある。親が見つけてくるのではなく、子供に見つけさせるのである。そうすれば、負けず嫌いな子は間違いなく、「僕もやりたい。」と言うだろうし、普段恐がりの子でも、「あいつ楽しそうだな。怖くないのか。
ちょっとやってみようかな。」という気分になる。親が説得しても聞かなかったりするような子にも、実際に同年代の子が出来ていると、やりたくなるのである。また、そんな子が失敗するところも実際目にするから、「早く早く」のタイプの子にも効果的である。
 歴史上の紫式部は、父が兄に教えていた漢詩の内容を、兄よりも早く覚えてしまったのだそうだ。これも、人がしていることを見て、自分もやる気を出した良い例である。このとき、彼女の父は、式部に漢詩を教える気はなかったというから、自分で手本を見つけた良い例では無かろうか。
 確かに、子供のやる気以前に、親が何としてでもたたき込まなければならないものはある。しつけというやつである。       しかし、そこでも、やや強引でもいいから、その行動へのやる気を持たせるべきではないだろうか。強引にやる気を持たせるなどというのは、逆に子の「どうしてする必要があるの。」という不信感に繋がらないかという意見もある。しかしそれも、嫌々たたき込むよりは、子供はずっと先までその出来るようになったことを覚えているし、またやろうとする。
 子供のやる気というのは、親が伸ばそうと思っても伸びるものではない。子供が、「やってみようかな。」と思うことである。理由は、行動するのは子供だからだ。簡単なことである。にもかかわらず、上達には、簡単にいかなかったりもする。それは、上達することというのは、子供の技術そのものの発達ではなく、技術を身につけていく過程での精神的な発達であるからだ。過程は、段々とやる気が出てくる過程にも通じる。その過程は、親の関わりによっては変わらない。なのに、どうにかして変えようとするから、子供は混乱してしまうのだ。だから、親は子供がやる気を出していく過程を見守りながら、子供が助けを求めてきたときに、やる気を出せるようにアドバイスしてやるべきなのである。

   講評   nara

 第一方法:「成功・失敗」は対義語だけれど、これは相反するというものでもなさそうだ。成功に至るには失敗が必要だし、それも「失敗しても大丈夫」という意識が必要だ。しかしながら、「成功するためには、失敗してはならない。」「失敗したらもう成功できない。」という考えが、私たちには刷り込まれているようだね。ここを払拭しないと、長文で言うところの効力感は、なかなか得がたいのだろうなぁ。
 第二方法は、9〜10月によく採り上げた「競」ということとも、深く関わっているね。残念ながら、最近は一人っ子も増えたし、友達同士や年上年下の子との関わりも、かなり少なくなっている。そして、あよう君が以前から指摘しているように、競うことをよくないものとしてとらえる風潮があるね。目標を定めるということは、広くとらえれば競うことでもある。競うことでこそ得られる効力感も、確かに存在するはずだ。
 昨今、子供に多くのことをやらせるケースを見聞きする。「やりたいことはどんどんやらせる」ということらしいが、よく聞くと「子どもがやりたいこと」というよりも「親がやらせたいこと」ということも、少なからずあるようだ。もちろん、取り組みのきっかけを作るのは、親でないとできないこともある。しかし、やる気を育てるのではなく、誘導してしまってはいけないね。親・大人側の忍耐力が問われるのだろうなぁ。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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