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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   心の花園   みるく

人の観察や考えを利用するという必要から、読書はまず必要である。本を読むと、物事に対しての感動を深められるだけではなく、我々が苦労ひても自分自身では経験できない体験を教えられることもある。
愛読書というのは、まるでステーキの肉汁を味わうようにじわじわと楽しむことのできる本を示しているのである。しかし、愛読書というのはすぐに見つかるものではない。長い年月をかけ、じっくりとストーリーにのめり込むことで、初めて自分と相性の良い本を見つけることができるのである。現に私はすぐに愛読書なんか見つからなかった。いろんな分野の読み物を軽く読みこなし、脳に「ビビビッ」と刺激がきた分野に絞り、更に読みふける。愛読書は1冊の方がいい、そっちの方が心により残るじゃないかという説もあるが、私は愛読書は何冊もあってもいいと思う。愛読書は自分だけの本である。1冊しか見つからなかった人の方がつまらない。私の愛読書はファンタジーとミステリーである。ファンタジーは、例えばハリーポッターのようにフィクションの世界にどっぷり浸かれる。ない事が目の前に繰り広げられて、想像が豊かになれる。ミステリーは、天才の頭脳に挑戦状を叩きつけてくる痛快さとそれを巧みに掻い潜っていく面白さがいい。こういう本をくだらないと表現する人がいるが私は理解しかねる。私なりの説で行くと、人々の愛読書はその人自身の、語彙と感受性と思考と性格によって決まると思う。自分の好奇心の芽を育てるのは自分自身であって、他人が世話をするわけではないから、とやかく口に出さないでくれと思うのだ。
 私は愛読書に浸れる時が、人生という長いテープレコーダーに有意義に記録できると思う。心にじーんとくる時、笑えるとき、泣けるとき、共感できるとき・・・。愛読書は私たちの心情の宝箱にいつも新しいものを齎してくれる。私は本を繰り返し読むときに同じ気持ちになったことが一度もない。その時の気分によって変わる。この体験も私の説を裏付けするひとつの証拠だと思う。
 私の父の愛読書は宇宙や地球や人類に関する本だ。自分の住んでいる銀河を、天体を、仲間を、専門的な視線から見ることで新たな刺激を得られるのだそうだ。私もちらと見てみたが、専門用語ばかりでとんちんかんちんだ。こんな本を読みこなせるのは、真の愛読書の現れだと私は思った。 母は、西遊記や水滸伝、三国志などの古典物だ。中国に名を轟かせた英雄にひかれるらしい。
 みんなそれぞれ本に興味を抱いている。それが漫画でも雑誌でもだ。自分の心に生えている好奇心の芽をいかに育てるか、それは貴方の選択によりけりだ。私は自分の芽を、想像の苗にし、知恵の木にしていきたい。その肥料の役割を担うのが愛読書だと私は分かった。

   講評   inoko

 みるくさん、こんにちは。
本の世界に浸ることで、私たちは現実には決して体験できないことを体験したり、行くことのできない場所に行ったりすることができます。自分の人生を豊かにするには、できるだけ多くの体験を積むことが必要だと考えますが、そこに読書により蓄積された想像上の体験が加わると、さらに人生は深いものとなるでしょう。みるくさんが書いているように、私も自分の愛読書にとやかく口を出されたくはありません。一人一人の顔や性格が異なるのですから、愛する本も異なって当たり前です。ですから、私は自分がおもしろいと感じた本を人に薦めることも決してすることがありません。薦めたところで、その本を相手がおもしろいと感じるかどうかは責任が持てないし、「おもしろくない。」と評されれば、自分を否定されたかのような気持ちになるかもしれないからです。

☆ 人生という長いテープレコーダー。こうきしんの芽。想像の苗。知恵の木。どれもが、きっとみるくさんが読書から得た宝物が生み出した言葉なのでしょうね。



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