創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
広告が溢れる社会 かおや
iPodのCMを見たことがあるだろうか。蛍光色の背景の中で、iPodを聴きながら踊る人のシルエットだけが映し出されるという、ヴィヴィッド調で非常に印象に残りやすいものである。インパクトがあり、センスも良いCMで私も好きなのだが、肝心の商品がほとんど登場していない。最後にでかでかと名前が映し出されるのとわずかにシルエットが映るだけで、商品そのものの説明は皆無である。iPodをまったく知らない人から見ると一体何を宣伝しているのか皆目見当がつかない仕上がりとなっている。最近の広告は皆同じようなもので、インパクトはあるが、商品の説明はほとんど無い。広告とは本来、商品の概要を説明し、消費者に購入してもらうことを目的としたものだが、現代では、良い広告を作ること自体が目的となってしまっている。現代の社会は、広告の自己目的化が進んでいることが問題である。
この問題の第一の原因は、商品の間に差がほとんど無くなってしまったことである。科学技術が発展した結果、分野によっては飽和状態に達し、性能がほとんど横並びとなってしまった。そこで、商品の良し悪しの判断基準は、デザインや広告などの外面的なものへと移ってしまった。その結果、次第に企業は商品を改良するのではなく、広告に力を入れるようになっていったのだ。私も、携帯を購入する際、どの携帯にも、ワンセグやカメラは付いていたので、最終的に選んだのは、CMで見かけたもので、デザインが気に入ったものだった。
第二の原因は、消費者のモノに対する関心が薄くなっていることである。終戦直後など極度の物資不足の時代には、人々の頭の中はモノでいっぱいであった。この時代には、商品購入の動機は、純粋にそれが欲しいと思ったから、というものだった。しかし社会が豊かになり、欲しいモノは何でも手に入るようになるに従い、人々のモノへの関心は薄まっていった。それと同時に、商品購入の動機は、人気があるからとか、広告でもよく宣伝されているからというものに変わっていった。かつての広告は、あくまで商品販売システムの補助的存在でしか無かったが、今では商品販売システムの中心に居座っているのだ。
確かに、最近の広告は非常に面白く、私たちを楽しませてくれている。しかし、中身が無く、外見を何とか取り繕っているだけの現代の広告では、商品の価値は判断できない。消費者が、広告だけで、商品の価値を判断していると、製作者側に、商品の改良に努めても意味は無いのではないか、と思うような風潮が広まってしまう。これでは、消費者にも製作者にも不利益が生じるばかりだ。家の外装は後からいくらでも、付け足すことはできるが、内装を変えることはできない。最も大切なのは外見ではなく、中身なのだ。様々な手法を凝らして私たちを引き付け、また惑わす広告が溢れている社会に生きる私たちには、モノの価値を広告やイメージで判断せずに、自分の目でしっかり見て吟味することが求められている。
講評 nane
iPodの話がなかなかいい。問題提起もすっきりしている。感じのいい広告ほど、何を売っているのかよくわからない(笑)。
消費者も、商品を買うというより、商品のストーリーを買おうとしているのだろうね。
体験実例で私の選んだ携帯の例がわかりやすい。昔はスペックにこだわったけど、今はどれも大同小異だからね。
「かつての広告は、あくまで商品販売システムの補助的存在でしか無かったが、今では商品販売システムの中心に居座っているのだ」はいい表現。
「広告が溢れている社会に生きる私たちには、モノの価値を広告やイメージで判断せずに、自分の目でしっかり見て吟味することが求められている」も、抑制したいい意見。
ここのところ、連続して文章の質が高い。
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
|
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)
| |