創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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 動物は我々とは死の概念自体が随分違う。この場合の動物という言葉には、現代文明の中で生きる我々のような人間以外の全ての哺乳類を含める。我々の精神は死という言葉を聞いただけで毛を逆立てる。だが本来死とは、一つの成就、一つの完成、一つの回帰である。肉食獣に追われて逃げきるか喰われるかは一つのゲームである。何度勝った者も最後には敗れる。自然界には自然死という言葉はない。動物は愚かだから悩みがないと言うのは間違いだ。その場その場で力を尽くすだけである。書き出しの工夫 
 この長文は“失われた野生動物と狩猟民族の精神の回復”の大切さを書いている。それがなぜ大切なのか、理由を書きたいと思う。
 一つ目の理由は死ということを理解しているのは人間だけなのである。極端な例を言えばチンパンジーは死んだ子供を抱いて木から木へと移っていく。なぜ、死を理解しないのか、あるいはできないのか。それはする必要が無いからである。人は120歳を超えることはいまの技術では不可能に近い、と聞いたことがある。しかし、チンパンジーは死というものを測るものさしを持っていない。どこから死なのか、どうなったら死なのかということだ。持つ必要が無いからである。もちろん死というものを理解した動物もいる。それはここでは例外とする。もし、そんなものを理解している動物が世界じゅうにあらわれると世界は血の海になる。それは殺そうと思うからである。動物同士が攻撃しあったりすることもあるが、殺してしまうのはほんの一例である。死というものを理解してしまうと死が存在する→殺すこともできるという回路が結ばれてしまうのである。こんな世界は想もしたくないが恐らくそうなると思う。
 二つ目の理由は一つ目の理由と被る。自分が 物 理 的 に 生きるために殺すのが自然の条理である。何故物理的を強調したかというと、感情的に生きるためだとまたこの話の原点に戻ってしまう。狩猟民族は自分が物理的に生きるために動物を殺す。 確かに物理的に生きるために殺すのもいやだと言うのも分かる。しかし、これは単純に食物連鎖なのである。
 名言に“人生に意味はない。あるのは欲望だ。欲望があるから、バラはバラらしく花を咲かせている。”というのがあるように動物は動物らしくしていればいいのである。ここで大切なことはネガティブな考え方はしないということだ。PDF

   講評   nane


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