低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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個体という自分 紫式部
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは「機械に抗する怒り」と訳すことのできるハードロックバンドである。彼らはロックのプロテスト精神を愚直に曲にすることで、自分たちの考えを社会に向けて抗議する。また19世紀末端に活躍したヴァレリーは、英雄や偉大な個性を必要としない方法が支配する世界が来ると述べた。彼が言うところの「機械」や「方法」とは社会のあらゆる権力や制度のことであり、これらが私たちから個体性を剥奪するものの象徴なのである。機械が完備され、手順やマニュアルが精密になればなるほど私たち個人の自由裁量は減っていくのだ。機械や方法は人間の能力の均衡化を実現したが、同時に個人が創造したり、挑戦したりする自由も奪っている。私たちは機械や方法などの決まったものに抗して個体性を持つべきだ。
そのための第一の方法として「マニュアルに頼らないこと」だ。私は面倒くさがりなので基本的に説明書というものは読まない。ゲーム機でもパソコンでも何でも大体は勝手に自分で弄繰り回して体で覚えていく。時たま読まないことが仇となることもあるが、自分でああでもない、こうでもないと独自の方法を1から構築していくので巧みにあやつることが可能になる。こうする事でマニュアルをいちいち読んでその場しのぎで入れた知識よりも確実なものが手に入り自分の大きな武器となる。
第二の方法としては「結果よりも途中の試行錯誤の経過を評価する社会にすること」だ。中国の儒家孔子は仁(人間愛)や礼(礼儀)による国家の統率を望んだ文明人の一人である。彼は自分の書「論語」の中で、何をするにもその人の歩んできた道を見なさと説いている。人の本質というのは今の状態にではなく、その人の歩いてきた道ににじみ出ているものだと説いているのだ。昔の人々はこの書を読んで孔子の教えを学んだのだろう。果たして今の社会にこの思想が息づいているのかどうかは疑問である。私たちは折角学校で世界史を習うのだから、孔子=儒家=「論語」で一問一答形式の記憶定着のような勉強ではなく、かつての思想から今の社会を考える授業と言うものをやってみてもいいのではないかと思う。
確かに積み上げられてきた決まったレールの上を歩くのは能率を上げる方法である。法律だって社会基盤に不可欠な方法である。この世の基本は方法で出来ているのだからその上を歩いて当然の行いだ。しかし、戦争を止める方法は教科書には書かれていないというように、本当の答えは用意されているものではなく、自分自身の思考の中にこそあるのかもしれない。時に私たちは自分らしさというものをもっと大切にするべきだ。人間が求めているのは結果だけでなく、過程にも存在するからだ。
講評 kira
紫式部さん、こんにちは。社会が複雑な組織として完成度を高めていくにつけ、方法というもので私たちは縛られるようになりました。個人は、一構成員である以上、そのルールに拠らなければ機能していけないのです。
そういったマニュアル志向型の人間は、知識は整っていますが応用力や思考力に欠けています。紫式部さんのように「体で覚えていく」ことをすれば、ほんとうに「できる力」がつきますね。分かる力よりできる力が大切でしょう。
孔子の教えと言う古典から、現在を照射するような学び方という視点は面白いですね。孔子は膨大な教えを遺していますが、それをどのように自分に生かしていくかは、私たち自身が創り上げるべき哲学ではないでしょうか。
「叩けよ、さらば開かれん 」は聖書の言葉でしたっけ? 孔子も学ぼうとしないものに教えても無駄であると述べていますよね。答えを希求する道すじに、自分らしさがあるということですね。
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