国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   道の開拓   如月 沙良

手紙には宛名のないものとあるものがある。そうすると、以心伝心、不立文字を地で行くような手紙が羨ましくなる。                    
 父への年賀状は、IT関係の会社に勤めているせいか、パソコンからとりこんだ画像、綺麗に並んだ活字体、美しい宛て名書き。年賀状というのに相応しい重々しい雰囲気が漂ってくるが、物足りなさを感じるのも事実だ。父の年賀状と、私の友達から貰った年賀状を比較してみると、微笑ましくなるのは友達から貰った年賀状である。コンピューターグラフィックというのもなかなかいけているが、自分で筆を持ち、自由に描いた方がいい。機械化が生み出した便利さは、人々の人情さを取り消してしまったのだろうか。今では、筆まめな人ほど希少価値になっている。お世話になった人や、お世話になる人へ出す礼状が年賀状なのだから、ゆとりと余裕のある時間に、一枚一枚丁寧に自筆で書いた方が良いのではないか。はい、そこで無理! 忙しいと思った貴方。年賀状を出す人へ、心から感謝していますか? なにも、宛名・イラスト全て書けと言っているのではない。隅にこうちょこちょこっと書いてくれれば、それでコミュニケーションの道は広がったのである。
 道は目の前に広がっている。ただし筆を手に取らねば。「年賀状のシーズンか、葉書買わなきゃなあ」気さくな気持ちで、パソコンのスイッチをONにしたのならば、年賀状を出す資格など無い。年賀状を大事にしない奴など、郵便局へ行かなくてもよい。なんのために年賀状はあるのか。新年になるごとに自問自答してほしい。年賀状に数など、字など関係ない。ただ、「ありがとう」の気持ちが伝わるような、自分でも満足できたようなベストな葉書を投函すれば良いのである。話は変わるが、本は紙と活字だけである。しかし、それだけで私達はストーリーに引き込まれていくのである。素人の私達には到底かなわない。だからせめて、葉書ぐらい自分で書いてほしいものである。
 ところが信じられない前の話がある。一番身近にいる我が父こそコンピューターグラフィックをおおいに活用しているのである。葛飾北斎の富嶽三十六景をコピー&ペーストでちょちょいといじくり、年賀状ソフトで住所を記入、印刷してはい終了。まるで流れ作業のように楽すぎる。楽すぎるけれど単調すぎる。次の年は、歌川広重の東海道五十三次をインストールして・・・。
なんて、呑気な事をやっている父をみると、腹正しくなる。と言いたいところなのだが・・・。
 本当にこの人にお世話になりたい、お世話になったなと思ったら、コミュニケーションの道を開拓すべきだ。父の失敗からこんなことが分かったけれど、やっぱりパソコンの方が楽かも(^_^;)

   講評   inoko

 如月沙良さん、こんにちは。
師走のあわただしさの中で、年賀状の心配をしなければならない時期ですね。
近頃は、沙良さんのお父さんのように、パソコンでちょちょいのちょいと年賀状を作り上げてしまう人がとても多い。一枚一枚、相手の顔を思い浮かべて書いている人は、今の日本にどのくらいいるのでしょう。科学技術の進歩のおかげというのもありますが、そのほかにどのような原因があるのか考えてみました。その一つは、郵便局。毎年、一日に何度となく目にする年賀状のCM。
「年賀状はお早めに。」
きっとこの文句がいけないのでしょう。早くしなければとあおられて、相手に気持ちを送ることよりも、スピードを優先させてしまうようになったのではないでしょうか。
さて、私も年賀状の準備をしなければ。(パソコンの力を借りますが、あて先と相手に合わせたコメントだけは手書きです。)


 
誤字発見に入れてくださったのですね。どうもありがとう。入れようと思ったら、タッチの差でした。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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