創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   カプセル時代脱出   如月 沙良

神はアダムを土でお造りになった。その後、アダムのあばら骨一本からイブを作り出した。アダムとイブは夫婦となり、永遠の楽園で住み始めた。神は一言いった。
「アダムとイブよ、あの真ん中にある大木になっている実だけは、絶対に食べてはならぬ。それ以外は、皆お前たちのものだ」 
しかし、イブはその実が気になってならない、とうとう蛇に唆されて一つ食べてしまった。こうして、知恵と恥と死が生まれた。
 つまり、私たち人類全てはアダムとイブの直系の子孫というわけである。そこから、分裂・統合、戦争・一致を繰り返し、現在の形となった。日本、亜米利加、露西亜・・・。様々な国が、島が、地球の上に出来た。その多種多様な国々は、統治者のセンスと知能度によって、独自の文化を織りなしてきた。
 日本人。挨拶をするとき、種類は沢山ある。会釈、お辞儀。お辞儀も角度によってたくさん種類がある。きめ細やかで淑やかな動作。物事がゆったりとしている日本にぴったりである。されている方もしている方も、気持ちよくなる。潤っているのである。 外国にこのような場面はない。ドライで素早い外国人には、きびきびと挨拶をし、パワフルに的確に動く人のほうが、風景に溶け込んでいる。乾いているわけではないが、日本人から見れば物足りなさを感じる。なにせ、日本には礼法というものでさえ、存在しているのである。いかに挨拶・仕草を尊重しているのかがよくわかる。
 けれど、日本人はなぜ淑やかさの道を、外国人はドライな道を織りなしたのだろうか。アダムとイブの子供と考えられない冷たい雰囲気が、道と道との間にある。なにも、全世界統一を目指せと言っているのではない。そうすれば、戦争が起き、人は憎み合い、神は悲しむ。言葉も違っていいだろう。声帯は人それぞれなのだから。でも、文化は違わないといけないのだろうか。神は六日間かけて、世界をお造りになられた。その裏に何があったのだろうか。どんなメッセージを神は物語りたかったのか。世界という空間の中で、私たちは自分たちの族のカプセルに閉じこもり、まるで関わりたくないとでもいうように、他のカプセルと苦笑いを交わし合っている。無理に別のカプセルに行けば、周囲と溶けこめずちぐはぐだし、統合すれば睦まじく出来る。
 一番最良なのは、自分のカプセルを爆破し、他の人々とごちゃまぜになることだと思う。異文化に触れることで、自分と違う感受性を持っている人への尊敬と憧れが起き、自分たちの文化を見直すことが可能になるのである。「郷にはいったら、郷に従え」これはカプセル時代だ。「郷にはいったら、郷とふれあえ」これが一番いいのである。
 異文化に触れあったら、独自の文化にまた新しい道ができるかもしれないということが分かった。カプセル時代はもう終わりだ。カプセル爆破時代を築いていくべきであろう。

   講評   inoko

 如月沙良さん、こんにちは。
創世記のバベルの塔。バベルの塔以前は、人間は同じ一つの言葉を話していたとされています。言葉だけが同じだったのか。生活習慣も同じだったのか。この長文を読むと、それを確認したくなります。
沙良さんが書いているカプセル。これは、「文化的カプセル」という言葉で、6年生の長文に登場します。その長文を読むと、私たち日本人のカプセルは意外に厚く頑丈であることが再認識されますが、沙良さんが書いているようにカプセルを爆破するぐらいの気持ちがなければ、本当の意味で異文化と触れ合うことはできないのかもしれませんね。
「郷に入っては郷に従え」ということわざを引用し、それを少しアレンジして意見につなげています。これは、高校生の項目の【ことわざの加工】です。項目の先取り学習になりましたね。



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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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