国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   がんばることが大好きな   かもも

がんばることが大好きな
 かもも
 がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使います。日本の漢字には音読みと訓読みがあります。「べんきょう」というのは音読みですが、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むことができます。「しいる」とは一所懸命にはげむこと。「しいる」とは無理やりやらせることといった意味です。「勉強」とはそれ自体が目的ではなく、あくまでもそこえ行きつくための手段にすぎません。
 私の習っている英語は、椅子に座って紙に書いてあることを読むような物ではなくて、毎週課題のCDを聞き英語の日にその聞いてきたCDの話を十人くらいで劇をやる。私の習っている英語にはキャンプがありとても楽しめる英語のキャンプと言ったらみっちりと英語をやらされるのかと思う人がいるかもしれないけど、まったくちがうい、キャンプではみんな友達になってワイワイさわいで仲良くなりましょうというようなキャンプだ。だからわたしは、英語をみっちりやらさせられる所に入れられなくて良かったなぁ〜と思う。
 私は学校の授業の中で好き嫌いがある。好きな授業の例を言えば、「図工」「お楽しみ会」だ。嫌いな授業は「社会」「国語」だ。好きな授業の時間は、先生が
「かたづけろー」
といった時私はいつも「もう二時間分の授業おわっちゃったんだ。」と思う。お楽しみ会の時は「もう一時間あればいいのに」と思う。嫌いな授業の時間は、「あーあつまんないなぁー、まだじかんあんじゃん。」と思う。嫌いな授業の時私はきっとナマケモノのようになっていると思う。ひどい時は、宇宙と通信しているかもしれない。母が小学生の時代、母が好きだった授業は、「家庭科」「体育」「図工」で嫌いなじゅぎょうは、特になかったそうだ。今と昭和では習うことは少し違ってきたりするから好き嫌いがちがうのかなぁーと思う。
 人間にとって「勉強」とは、自分の夢をかなえるための準備であ
って決して何のためにならないことは、私はないと思う。


   講評   ita

 こんにちは、かももちゃん。「勉強」と「学習」の違いって、実は気持ち一つのような気が先生はします。「やらされる」と感じるか「している」と感じるか。もちろんかっこいいのは「私は自分からやっている」という気持ち。嫌でも先生はそう思うようにしています。やらされるなんて動物みたいで嫌でしょう? 心一つで変わるのが「習う」というものです。さあ、これから嫌でも「楽しい」と言ってみましょうね。
【第一段落】
 ところどころ敬体(です、ます)になっています。要約ももちろん常体で書きましょう。
【第二段落】
 かももちゃんは英語を『勉強』しているのではなく「学習」しているようですね。人間にとって何かを習うときは「学習」の方が楽しそうです。どういうところが楽しいのかも書いてみてね。
【第三段落】
 お母さんに取材ができました。平成と昭和という使い分けを見たとき思わずぎょっとしましたよ。F^_^;
ここはお母さんの好きだった理由を聞いて、そこから「勉強」「学習」に話を広げると書きやすそうです。
【第四段落】
 良いまとめです。前向きな姿勢がいいですね。
   


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