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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉をどう使うか   ハーマイオニー

 科学は記述から始まる。現象をコトバで記述する。現象とコトバが対応してるのなら誰が記述しても同じ記述になるはずだ。ところが、記述から現実を再現してみることはできるけれども人によって少しずつ異なった情景を再現するに違いない。ところで、コトバによって世界を切り取るやり方に根拠はないとしても、同じ言語を使う人々の間では、このやり方がほとんど同じであるように見えるのは、他人も自分と同じだと錯覚しているだけなのかもしれない。我々の日常の世界では、コミュニケーションが成立すれば別に問題はない。しかし、科学はできることならコトバを厳密に定義できるものにしたいのだ。
 私は、言葉を厳密に使うことは大切だと思う。
 その理由は第一に、曖昧な言葉では誤解を招くことはあるからだ。今、世界地理を勉強しているが、外国の地名は難しく、カタカナ表記が一種類とは限らない。例えば、この前、授業で先生が「スカンジナビア半島」と言っていたが、地図帳には「スカンディナビア半島」と書いてあったので、一瞬同じ地名かどうかわからず、混乱した。イタリアのベネツィアの表記は、ヴェネチィア、ヴェネチア、ベネチア、それにベニス、ヴェニスなど、とんでもなくたくさん種類がある。このぐらい有名なところなら私も知っていたが、知らなければ、似たような名前の都市がいっぱいあるなあと思ったかもしれない。(笑)このように、言葉と、現象(事象、地名なども)が一対一に対応していないと、確かに誤解を招くと思った。
 第二に、厳密な言葉で表現すれば、誰にでもわかりやすいからだ。携帯電話の契約台数は、すでに一億台を突破し、今も毎月増加を続けている。(電気通信事業者協会のデータ)私も毎日使っているし、携帯がなければ生きていけないと思うくらいだ。この前、私の友達を、私たち数人の別の友達で怒らせてしまったことがあった。私たちは、そこまで怒っているとは思っておらず、ずっと笑っていたら、その友達は怒ったまま帰ってしまった。私の友達が夜メールで謝ったらしいが、「五月蠅い」と返ってきたらしい。私は、直接的には関係ないのだが、その友達に「ごめんね。みんなKのこと好きだからふざけてるだけなんだ……。」というような長めの文章を送ったら「もういいよ。怒ってないから。」と返ってきた。多分、「ごめんね。」だけでは、あまり気持ちが入っていないと相手は感じたのだろう。たとえ、送った方が本気で謝る気があっても、だ。それで、あえて私はわざとらしく謝っている感じは入れず、最近いつもメールは関西弁になってしまうので、関西弁のままで思っていることを伝えてみた。それで、彼女の気持ちを和らげることができたと思う。それでもやはり、メールは絵文字などがあっても本当の気持ちは伝わりにくいと思う。だからやはり、大事なことは、直に、なるべく厳密な言葉を使って伝えるのが一番いいと思った。
 確かに、曖昧な言い方をする方がいい場合もあるだろう。現実に合っているとか正しいことだからといって、人を傷つけるようなことを何でも言っていいわけではないはずだ。また、曖昧さがおもしろい表現を生むこともある。しかし、「すべてに効くという薬は、何にも、たいして効かない。」という名言もある。どうとでもとれるような言葉ばかりでは、真剣な会話はできず、大事なことは伝わらない。やはり、厳密な言い方をする方が、誤解されることが少なく、よりわかりやすく伝わると思う。

   講評   nara

 言葉を厳密に使うべきか、あいまいさを楽しみよいものととらえるか、これはどちらの意見も「アリ」だから、主題を変更したのも、もちろん問題なし。どちらも言葉の特性に関わる話だからね。同じテーマを相反する二つの主題で論じてみると、もっと力がつくよ。機会があったら「あいまいさ」をプラスでとらえる意見文を書いてみるといいね。
 第一理由:私自身が世界史が苦手だったことを思い出した! 欧米人の名前の表記になじめなかったことが原因の一つだと気づいたのは、既に高校を卒業してからだったよ。長文にもあるように、日本人同士であれば多少の違いであっても、同じものを指していると類推できるけれど、母語・母国語が異なる人であれば、理解は難しいだろうね。物理や化学、数学などが国や民族を超えるのは、公式という共通言語を持っているからとも言えるね。
 第二理由:ここは、日本人特有の「あいまいさをよしとする」ことの反省とも考えられる。日本人は「言わなくてもわかりあえる」「くどくどこまごま言うのは野暮」というようなところがある。だけれども、こういう感覚も、現代では徐々に変化しているね。携帯電話の登場も変化を生む原因になっていると思われる。第二理由の説明は、身近な例でわかりやすい。
 厳密な言葉遣いは、時に鋭すぎることもあるかもしれないね。しかし、そこに人間の智を用いたい。何も厳密な言葉遣い「だけ」で済ませる必要はない。場面によっては、そこにあいまいな表現を加えて、クッションをおくこともできるわけだ。あいまいな表現は、厳密な言葉があるからこそ力を発揮することも大いにあるはずだ。例えば、びしっと何かの注意を受けた時、そこにプラスアルファのフォローがあるかないか。そのフォローは、「突き詰めない」というあいまいさを加味することもありそうだね。
 

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