低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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本当の自然保護 たけたけ
私の家の前は、土で出来た道路だった。となりの家のおばあちゃんがネコジャラシをお花の材料にする、という話で私はとなりの家のおばあちゃんに仲間意識を持ったが、私がひそかに増えるのを楽しみにしていたスミレを、清掃好きなおばあちゃんは草むしりで抜いてしまった。数年経ってその道も舗装され、雑草たちは姿を消した。道は車向きの道路になり、地球の欠片ではなくなってしまった。人は時と場所によって、町中の雑草に対する態度は大きく変わる。人はハイキングに行けば、「自然が一杯で気持ちいい」と喜ぶが、自分の家の庭に出てきた雑草には冷たい。「雑草のようにたくましい」という言葉が褒め言葉として使われる事は多いが「雑草のように美しい」という言葉を褒め言葉として使う人は決していないだろう。
僕はこの長文を読んで、人が自然に対してどのように接しているのか考えてみた。僕の学校では、年に一度、『クリーン・デー』という行事を行っている。これは、児童・先生・保護者が一丸となって校内の草むしりに取り組む日である。綺麗な花などだけは残して、その他の雑草を一本残らず抜く、抜く。草むしりをしている時、一人一人の目は、この雑草たちを、『一つの生命』としてではなく、『ただの意味の無い汚いもの』としてみているのであろう。この地球の欠片を、僕らはいつも、まるでゴミのように扱っているのである。
「よし!きれいになった。」
と草むしりが終わった後の地面を見て皆は言うけれど、本当に綺麗になったのか?と僕は思う。
昔と今とで、『自然』と呼べるところの数が大いに変わってきていると思う。母に、昔と今の違いを聞いてみた。すると母は
「昔の土手は草などが生えていて、雲雀の声なども聞こえてきて春、というものが味わえていたけれど、今の土手はコンクリートで覆われていて、鳥の声も虫も魚も減ってきて、淋しい気持ち、というか、温かみを感じないと思うよ。」
と言っていた。僕は自然の本当の意味を分かり始めた。
僕は、本当の意味での自然保護とは、人間にとって住みよい清潔な環境を作ることも大事だが、元々合った自然を、ありのまま受け入れることも必要だということが分かった。人間も自然の一部なのだからそのことを自覚して、本当の意味での自然保護を続けていきたい。人間にとって自然とは、何も手を加えてはいけない、そのまま残しておく必要のあるものだという事が分かった。コンクリートだらけの生活から、元の土や雑草のある生活へと戻す努力をしてみたい。
講評 kira
たけたけくん、こんにちは。3月1週は進級テストです。がんばろうね!
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