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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   友達   こゆき

 都市には珍しくほそうされていず、道端には草が生えていた。
女の子や小さい男の子が草の葉を引っ張っているのを私はよく見かけた。彼らはこの路地で地球のかけらを発見していたのではなかったろうか。ある秋、黄褐色に熟したエノコログサをながめていると、となりの家のおばあちゃんが近づいてきた。
「ちょっとネコジャラシをいただきますよ。お花の材料に。それにしてもこんな所に生えてくるなんてねえ」
とおばあちゃんは感心している。私はすっかりとなりの家のおばあちゃんに仲間意識を持った。しかしほどなく人間とは矛盾した生き物であることが証明されるできごとが起こった。清潔好きのおばあちゃんは、自宅の前から私の家にかけてていねいに草むしりをしてくださったのである。数年たって路地全体に異変が起きた。道は車向きの道路になり、地球のかけらではなくなってしまった。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちいいわねぇ」と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草は血眼になって引き抜いてしまう。<要約>
 道路はどこまでも灰色のアスファルト、アスファルト・・・そして車がその上をビュンッと通りすぎて行く。<書き出しの工夫>私の周りの道路は、雑草一つ生えていない。道路にあるものといえば、時々なぜかあるビニル袋、雑誌。人口的に見栄えがよくなるように、と植えられた草花。私の家の建っている空地は、雑草がたくさん生えていて、荒れたところだった。そこに私の家が建ち、タイヤ屋が建ち、あの見苦しい空き地は町から姿を消した。でも、あの空地は自然いっぱいで、冬にはそこで雪合戦をしたり、雪だるまや雪うさぎを作って遊んだ記憶もある。あの空地は、幼少時代の私の遊び場だった。今思うと、あの空地は私にいろいろなものをくれたような気がする。無邪気さ、嬉しさ、という素直な気持ちを。しかし、今はタイヤ屋ができてしまって空地はなくなってしまった。わたしの家の横から聞こえてくるのは、自然の笑い声<例え>ではなく、機械の音だけになってしまった。時代の移り変わりはこんなにも早く、変わっていってしまうのだ。<体験実例>
 雑草の扱いはひどいものだった。学校の授業で、私達がインゲンマメを育てたときである。私達は当たり前のように小さい雑草まできちんとぬいていた。また、草むしりのときも軍手をつけてしっかりと雑草をぬいた。しかし、雑草はそれでも生命力があり、どんどん増えていくのだ。そしてその度にぬかれ・・・。雑草が生きるため、子孫を残すためにがんばってきたその命を、私達は「また!」と言って片手でさっさと抜いてしまう。また、「雑草」という名前を勝手につけて、うっとおしいから、と小さいものも大きいものも抜いてしまう。花が好き、と言っている人でも、雑草の小さな花をなんとも思わず抜いてしまうのだ。もちろん、私も例外ではない。雑草があると汚らしい。生きるために必死の植物たちにも、そう思って抜いてしまうのだ。<前の話>
 自然は見えにくいものだ。便利な方向に発展をとげると、どうしても姿が見えなくなってしまう。気づくと、自然は、人類から遠ざかっている、いや、人類が自然から遠ざかっているのだ。自然とは、人類にとって、どんな便利なものよりも人類を助けてくれる、友達だ。<一般化の主題>その友達を裏切ってはならない。そのためには、自然と、人類が助け合って、生きてゆくことが大切だ、ということが分かった。<わかったこと>
「あ!ツユクサだ!」
そう言って喜んでいた小さい頃を、ふと思い出した。<書き出しの結び>

   講評   koni


 丁寧に清書できました。読解問題も頑張ったね。
★3月5日(木)は、進級試験です。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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