低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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自然が壊れる なまず
三年前まではその路地は、さまざまな人や動物の散歩道として利用されていた。私自身もコンクリートにはあきあきしていて、道ばたに草が生えている風景を心ひそかに楽しんでいた。翌春私の家の前にスミレがさいた。来年はもっとふえるだろう。と私は楽しみにしていた。ところがある日外出から帰ってくるとスミレがない!町中の雑草に対する人間の態度は時と場所によってさまざまである。
僕にも似た話がある。
「おーい、草取り手伝って。」
と父に言われ庭の草取りをしたときだ。自分の家の草は山になるほど刈るのに、マンションの裏の目立たない部分の雑草は僕の家の何十倍もの草が生えているのに刈らない。家の見た目をよくするために草を抜くのは、当たり前のようなものだ。しかし、自分の家でない誰の家でもない場所、例えば山道などの草は誰も抜かない。(ボランティア活動などで抜くこともある)周りにある草は、生えていても何も感じないのに自分の家に生えている草は容赦なく抜く。緑は大切だから雑草を抜かないという理由もあるが、それだったら家の庭の草を抜くことも緑を大切にしていないのと一緒だと思う。そのことについては、どういうものかよく分からない。
もう一つ似た話がある。自然が壊されていることについてだ。僕にはこのことについては絶対忘れられないような思い出がある。小学校一年生のとき、なまずをよくとって家で飼ったり、祖父にあげたりしていた。(祖父はなまずを飼うのが好き)そのなまずをとる場所でとって置きの場所があった。それは、たもで一すくいすれば、多くて15匹ぐらいとれるような場所だった。祖父の家に泊まるときには、なまずの一日研究といって、いとこと夜更かしして観察したこともあった。しかしある日、たまたまなまずのとれる場所を通ったとき、工事中という看板が立っていた。僕はとてもびっくりした。もう入れなくなっていたのだ。少し立つと、コンクリートの道になっていた。なまずはどこに行ったのだろう。そのまま埋め立てられたのか、それとも住みにくい場所に移動したのか。どう考えても、なまずは不便な生活になったと思う。今まで住みやすかったから大量にいたなまずのすみかがなくなったわけだ。人間にたとえれば住宅が壊されるようなものだ。大げさかもしれないが人間はそのようなことをしているのだ。一寸の虫にも五分の魂といって、どんなに価値のないようなものにもちゃんと意地というものがあるのだ。この場合、なまずにもしっかり生きる価値があるのだから、簡単に住みかを壊さないでほしい。とはいっても、人間のためにこういう犠牲はいちいち考えてられないのかもしれない。
僕は、雑草に対しての人間の態度は、場所やときによって変わるというのをはじめて知った。場所や時によって変わるというのが不思議に感じた。その他にも自然を破壊しているということもいけないことだと思う。人間にとって自然というのは、景色、酸素などの環境のためにとても大切なものだ。なまずをとっていた場所はいつ見ても忘れられない思い出だ。僕はその場所に来るたびに自然を大切にしようと誓っている。(一般化の主題)
講評 kaki
毎回、レベルの高い作品で感心しています。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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