国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   学問の目的   みかん

 日本の歴史書は、ある時代を生きた人間の活動を読者の前に形象化する力を持つものがほとんどない。それは、歴史家の人間観察力が鈍いためだ。日本の学者達は、専門的、理論的なことを重視しすぎて、人間を全体的に把握するという、一番肝心なことを忘れている。日常生活の中で学問を試していくことによって、学問はそれだけ豊かになっていく。今日の学問は、社会の問題を離れて、学問自体が目的となっている面があるが、これは問題である。
 その原因として考えられるのは、まず第一に、学問の内容が細かく分化・専門化してしまい、全体像が掴みにくくなったということだ。数学などは、特に細かく単元が分けられていて、この単元はこういうときに使うもので、こういうときに便利、などといったようなほかの単元とのつながりが見えにくく、一つ一つ別の独立した単元だと見てしまいがちになる。例えば、n次導関数の与式の真を証明するときに、ずっと昔に学んだ帰納法を用いたり、第n番目の確率を求めるのに数列の考えを用いたり、というように、入試問題などある程度難しい問題になると、単元など関係なく、いろいろな考えを統合した力がないと解けない問題がほとんどだ。だが、私たちは一つの単元しか見えないといった状況に陥りがちで、そういう問題は苦手な人が多い。これでは、より総合的な力が必要とされる日常生活において、学んできたことを上手に活かすことも出来ないだろう。
 第二の原因として考えられるのは、今までの社会が学問を経済成長の道具として見すぎて、他の面にあまり期待していなかったということである。自然界でも、必要とされていない器官が退化していくのはよく知られた話だ。例えば、光の差し込まない洞窟にすんでいる魚の目は、退化してほとんどその機能を失っているという。役割を期待されないものは自然と衰えていくのだ。
 確かに、学問には、社会の問題を解決すること以外の意義もある。しかし、学問の素材は、分厚い本の中ではなく、生きた生活の中にある。今日の学問が社会とはなれ、学問自体を目的としてしまっているのは問題だ。

   講評   kira

みかんちゃん、こんにちは。すこしずつ春にむかっています。

 進級テスト、頑張ろうね!


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