国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日2356 今日2073 合計11427
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   刺激的のほうがいい   おなや

 狂気という物は、我々人間が人間としての自覚を持っていない人間やそのことを忘れてしまっている人間の精子イン状態のことを言う。そして、この狂気という物は我々の心や体が関係している。この狂気が静かにしている状態では私達は平和な日々を送っていることになる。しかし、この平和な日々が続いてくると我々人間はこのなんの刺激もない日々のことをおきたりして憂鬱になっていってしまう。そのせいで平和な日々を捨て狂気を求めるようになる。これは私たちの勝手なことをしている様子をあらわしているようにも私は思った。しかし、私達はこの狂気がなくてはきちんとした生活はできないという事実がある。それは、平和なに美を選んだとしても結局は凶器を求めるというこの繰り返しが続くと思うからだった。だから、私は狂気というものは人間にとって必要であり大切な相方と言ってもいいかもしれないと思う。 私がこう思った理由は2つある。1つは、狂気はわたしは最初悪いものだとばかり思っていた。でも狂気の見方を今までとは反対に見てみれば狂気は悪いことばかりではなくて良い事もきちんとあったからだ。例えば、私の場合では前に期末テストというものがあった。そのテストで同じクラスの男子と点数で勝負をテストの週間前に約束した。私は週間前からテスト勉強をしていたがその約束もあってかわたしは「負けたくない」という思いをより一層強めた。もともと自分で負けず嫌いということをわかっていることもあるからあか集中力が少し上がった気がした。そしてテスト勉強をテストの前日まで今までで1番集中して勉強ができた気がする。こういう集中力を生み出したのは私の心で「負けたくない」という狂気があったからなのかなと思った。そして、狂気は何かをやるにしろ狂気というものがあるからこそ楽しめるのかもしれない。
 2つ目の理由は、私は平和というのはとてもいいものだと思うけれどそう思えるのは私が送っている日常でも狂気がありそのおけげでいろんな感情や楽しさを味わっていた。しかし、狂気がない場合を考えると逆に面白みがかえってなくなってしまい平和的にのんびりと毎日を過ごしている私がいると思う。それは私にとっては刺激的な毎日ではないと思った。まるでシャーパンに芯がが入っていないような、2つそろってこそそのものが成り立っているように1つでも欠けているとなんの魅力もないものになってしまうと私は考えた。それに私にとっても退屈なだけで良いことなどないように思えたからだ。
 確かに冷静に判断売ることも大切だ。しかし、私は「始めることも大切だが、やり遂げることのほうが、もっと大切である。」という名言があるように平和な日々を送っていただけでは何も始められないし何かを始めていてもそんな日々を送っていたわたしがやり遂げるということもできるか分からない。だから私は狂気は人間にとって大切であり、もちろん私の大切な相方の1人と考えてもおかしくないと思う。

   講評   souyo

 題名にあるように、長文で使われていた「狂気」ということばを「刺激的」というようにあらためていました。これはとてもよい方法です。長文の書き手が「狂気」と、書いているぶんには問題ありませんが、それを自分の作文にそのままうつしてしまうとやはり浮いた言葉になってしまいます。自分なりに咀嚼して言葉を言い換えることは、大切な作業ですよ。
 理由説明の二つについては、よくかけています。特に、テストの点を競うことになり、集中することができたということは、たしかにふだんの自分以上のなにか力が加わったからでしょうね。ふさわしい具体例をみつけることができました。
 字数もがんばりましたね。意欲的な作文でした。


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)