国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   脳死と生命   くろーばー

 死とは、心臓が停止して血流が途絶え、それに伴う前進の生命活動の停止を指す。しかし、まれに脳が先に機能停止に陥る場合、すなわち脳死が起こる。人間は、これまで自己の可能性の領域を拡張してきた。テクノロジーは死を壁際まで追い詰め、ついにその領分から精に回収しうる部分を取り戻すことに成功した。移植治療によって人が生きられるのは、人間が身体的存在だからである。身体的生命は、部分身体の需要と復活を通して『不死』の可能性を秘めているのだ。我々は、人間的な『死』を意識して生きるべきだ。
 そのための方法として第一に、私たち一人一人が『脳死』を理解することだ。脳死状態に陥る人の数は確かに少ないが、現代のテクノロジーを駆使すれば辛うじて身体だけ『生かして』おくことが出来るケースも増えてくるだろう。冷静な判断を求められたところで、脳死に関する知識が無ければその臓器はやがて死に追いやられるだろう。人間的にはもう死んでいるかもしれない。言葉を発することも、意識もなく、ただ臓器が動いているだけだ。人類が生み出した医療技術は、私たちを遭遇したことも無い境遇へ運んでいる事は間違いない。しかし、その医療を有効に活用しなければ意味が無い。その為にも『脳死』を知ることが求められているのではないか。
 第二の方法として、人間の死に数字的判断を下さないことだ。『生かされている』臓器は、臓器提供を求める人にとって非常に価値のある『命』だ。それを自らの身体に受け入れられれば、自分の生命が大幅に長くなる可能性を持っているのだから。だが、その臓器を手に(というよりは体に)入れたいばかりにお金を持ち出してはならない。臓器売買はあってはならないことだ。人の命に値段を付ける事は不可能だし、今までも、そしてこれからもそれは変わらないだろう。お金になるから非合法的に手に入れた臓器を売ろう、などと考える人が出てくる可能性も無いとは言い切れない。そういったビジネスとしての脳死はたとえどんなに技術が進歩しても、許されることではない。
 確かに、臓器移植で救える命がある。一人でも多くの人の笑顔が生まれることを誰もが願っているはずだ。しかし、そこに潜む問題に目を瞑るのは卑怯なのではないか。人間はいずれ死ぬ。その人間的な死から助かる人の命の重みなど、私達がまだ話し合っていかなければならない事は沢山ある。医療は命を助けるためだけにあるのではなく、人の命の可能性を助けるためにあるのだ。誰かが『この世にお金で買えないものは無い』と言ったが、生命は金で取引できるほど軽くはないと、私は思うのだ。

   講評   kira

 くろーばーさん、こんにちは。科学の進歩が人間の精神的な成長を上回ってしまった弊害が、今の社会の問題になっています。医学のうえでの倫理の問題としてよくとりあげられますが、そこだけにとどまらず、身近なことで言えば、インターネットに依存してよいのかどうかといったことも、科学対人間の力関係の問題なのです。人間的な成長がのぞまれますね。
 脳死をもっとよく知ることが必要だと考えたのですね。何かの用語としての知識にとどめず、「みなしの死」とはどんなものか、多方面から考えていく事は大切ですね。
 また、どんなことでも効率重視の資本主義的な考え方が人の命の問題に関わってくるのも危険です。モラルを高める必要がありますね。
 「命の可能性」という言葉に命の輝き、すばらしさ、かけがえのなさといった願いをこめた名言ができましたね。「軽くはない」とした命を真に受け止められる人類でなくてはなりませんね。


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