国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   現在「子供」の問題が   ターミネーター

 現在「子供」の問題が捉えにくい状態になっている。何かと不気味なのは、一つには、社会の中で子供についてのある一定の共通了解事項が成り立たなくなったからである。と同時に「子供」の問題というのは普通の問題のように対象化し分析的に捉えていったところであんまり意味をなさないからであろう。いまやいろいろな領域で単なる専門家というものは役に立たないといわれ「専門馬鹿」などという言葉さえ出てくるようになったけれどもこの問題は、一方で現在ますます専門知識が必要になっているだけに、どう対処すべきかは簡単ではない。人間のふれあいよりも専門的な知識を過大評価する社会に問題がある。
 その原因は第一に、専門が細分化されすぎたためだ。私の学校でも小学校までは理科、社会、算数など一つの科目に一種類しかなった。しかし、高校生になると理科は物理、化学、生物と三種類になる。社会も地理、日本史、公民、現代社会、世界史と日本というせまい範囲から世界という範囲まで広がってきた。算数もたくさん種類がある。数Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ数A、B、Cという覚え切ることができるのかと思ってしまうぐらいの量である。これらのように年をとるにつれて色々なことが細分化されているのである。
 またもう一つの原因として、権威や肩書きを重んじる日本の社会の伝統だ。よく政治やタレントでも肩書きがある人が最近見受けられる。今の日本の総理である麻生総理も祖先には吉田茂という肩書きがある。タレントには歌手のダイゴという人のおじちゃんは日本の首相である。
 確かに人間は、知識によって救われるのではなく、同じ人間同士の共感によって救われるのだ。つまり人間は1人で物事を行うのではなく色々の人と知識を出し合っていかなければならないのである。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるようにこれからの社会で一人一人孤立するのではなく、色々な人と知識を共有する必要があるのである。自分も物事をする上で何か困ったりした時は知識を共有して困難を乗り越えたいと思う。

   講評   inoko

 ターミネーターさん、こんにちは。
専門的知識が人を救うのではなく、人間同士の心の係わり合いが人には助けになるということが、今回のテーマです。
今回、解説に書かれていることを軸に書いていますが、そこに自分の意見を少し入れましょう。たとえば、第一の原因の実例。多くの教科の名前を挙げて細分化されていることを書いています。細分化されていることの弊害を簡単に書いてみるといいでしょう。→ (例)細分化されることにより、各々の教科を極められるかというと決してそうではなく、すべてが中途半端ということにもなりかねないのではないだろうか。
そして、第二の原因の実例。権威や肩書きが重んじられることと最初に挙げた社会問題のつながりが見えてくるように実例を扱わなければなりません。→ (例)肩書きや権威を重んじる社会では、肩書きや権威に目が向いてしまい、その人自身の人間性を考えないようになってしまう。それでは、人間同士のつながりができるとは言えないだろう。



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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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