創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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美のセンス 闇の女帝
断言しよう。世界の言語の中で一番難しいのは日本語だ。なぜ、そう断言できるのか。根拠はどこに? もちろん、あなたの、そして私のすぐ隣に。
まず、日本語は三種類の言葉で成り立っている。平仮名、カタカナ、漢字だ。ところが、中国語や英語等は漢字、アルファベットの一つだ。更に言うと、日本語で表現の工夫や敬語もあらわすことができる。ごめんなさいの言葉でも、「真に申し訳ございませんでした」「ごめんあそばせ」など色々言い回しができる。ところが英語は、私の知る限り、「I’m sorry」しかごめんなさいを表す言葉がないはずだ。
私はそこに日本語の魅力を感じる。日本人の美のセンスが最も表れているのが日本語ではないのだろうか。しかし、使い方によっては美のセンスが崩れてしまったり、繊細な日本語の雰囲気が破壊されてしまう。略語というものがその代表ではないのだろうか。コンビニ、テレカ、生協、高校・・・。略語というのは、本来の言葉を自分の都合で短くしたものである。ほら、でできた、自分の都合。確かにコンビニエンストアとはなかなか言いにくい。でもたかが、五文字の違いだ。声帯の与えられている生物は人間だけなのだから、それに感謝してもっともっと本来の言語を活用すべきだ。しかし、残念なことに、高校などすでに、略語として根付いてしまっているものもある。高等学校という言葉は、この世から葬られた死語なのだろうか。私の学校には、ちゃんと高等学校という札がでているのに・・・。しかし略語には全世代から親しまれやすいという利点もある。日テレなどだ。愛称としてはいいかもしれない。言うだけならいいかもしれない。新聞にのせるのも、字数の関係などで許せる。テレビだ。NHKのように真面目にというわけにもいかないが、略語の根づく大きな原因はテレビではないのだろうか。もはや、テレビは娯楽の域をはるかに超えてしまったのだ。テレビが率先して言葉づかいや略語を直さなければ、誰が直すのだろうか。
本題にもどして、日本語の魅力にいろいろな言い回しというのを挙げたが、しかし、悪くいってしまえば独自の文化がないということなのだ。しかし、独自というのは一から築き上げるという意味ではなく、多様な他の文化を組み合わせて作るという意味にも取れるのではないのだろうか。そうすると日本語はさまざまな文化という糸から織りなされた世界で一枚しかない布ということになる。そう考えると、世界共通語の候補として日本語も・・・・・アリ?
日本語は日本人にとって美のセンスであり、日本人のみが持つ布であるのだ。
講評 inoko
闇の女帝さん、こんにちは。次回は6月6日。進級試験です。●の課題の準備をしておきましょう。
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