創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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快適な生活のために ハーマイオニー
あるエッセイを読んだ。著者によると、地球上にはまだ浪費文明に侵されず、昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつもあり、旅をして思いしらされるのは、「人間が生きていくにはわずかなもので足りる。」ということだそうだ。われわれが生活の必需品のごとく思いなしているさまざまな文明の利器などなくても人間は生きていける、という意見を読み、なるほどそうだと思った。
しかし、日本を訪れたアボリジニの人が自動ドアに驚いて「ドアなど手で開ければよいではないか」と言った話にはうなずけなかった。手で開ければいい。そのとおりだが、自動ドアは車いすに乗った人には大変便利なものだ。自動ドアであれば、一人で車いすに乗ったまま通ることができる。いやしかしそれも、そもそもたくさんのドアや段差などの人工物が多すぎるから、そのためにエレベーターを作ったり自動ドアを作ったりしなければならないということになっているのかもしれないが。
確かに、便利で快適な生活は良い。現代の日本の社会にはそのための道具や機械などが溢れている。私の周りにある日々使っているものを考えてみても、携帯電話、ウォークマン、テレビ、パソコンなど、まさに必需品と思われるような便利なものがたくさんある。物ごころついたときにはこれらのものに囲まれていたので、それを「むだなもの」、と断罪されても、やや困惑してしまう。私は毎朝、学校に行くのにウォークマンを聞きながら行っている。好きなアーティストの曲を電車に乗りながら聞いていると、眠気も吹き飛び、気分がよくなる。ウォークマンは昔はカセットテープを入れる形だったようだが、今のものはとても小さく軽くて、持ち歩いている感覚さえない。本当にいいものがあるものだと思う。
しかし、自然と調和したシンプルな生き方にも憧れる。上に書いたこととは矛盾するが、私は実は携帯やパソコンなどがなくても、それはそれで十分生きてはいけると思う。毎日何十通もの携帯メールが来るが、それを煩わしく思う気持ちもある。それらの文明の利器から離れて、気に入った数冊の文庫本を持ち、自然の中で暮らしてみたい。朝は、日の出とともに起き、夜は日が落ちたらゆっくり眠る。(寝すぎか。特に冬は。笑)そんな晴耕雨読の生活を夢見てみたりもする。都会から田舎に移って農業を始めたり、自給自足の生活をしたいと考える人も増えているらしい。まあ、私には一週間ぐらいが限度かもしれないが。(笑)
機械化された便利で快適な生活にも、素朴でシンプルな生活にも、それぞれ良さはあるだろう。現代の地球上のそれぞれの社会がそれぞれに成り立っているのは、意味のあることに違いない。しかし、「私たちの生活は、私たちが費やしただけの価値がある」という言葉もある。一番大切なことは、自分が心から満足できる生き方を常に模索しながら生きていくことではないだろうか。自分の人生にどのようなツールを使うか、また使わないかということは、自分自身の選択によるべきである。 私もその選択を間違えないようにしていきたいと思う。
講評 nara
書き出しの部分、手を加えたことで全体の一体感も出てきたね。第二段落の話は、さらりと書いてあるけれど、興味深い視点だ。車いすがなかったころ、自力歩行ができない人たちの外出は不可能に近かったね。便利なものができたことで、不便なことが生まれ、そしてそれを改善しようとする。その動きが全て善なのか。既に与えられた状態にいる私たちと、まだ持たない人との感覚が異なることをどう解釈するか。難しい問題だね。
ツール(道具)という考え方はいろいろと使えるね。道具そのものの良しあしもあるし、用途や使う側の技量によって選び方も違う。使い方によってよりよいものを生み出すこともあれば、凶器ともなり得る。使い手の責任というものが重要になってくるね。
6月1週目は進級テスト。心配はしていないけれど、よりよい作品が仕上がるように、準備はしっかりしておこうね。
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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