創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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「人間の生涯は物事を」を読んで。 文鳥
私は勉強は大切だと思う。
なぜなら、勉強はやればやるほど、個人差はあるにしても、その学力はどんどん伸びてくるものだからだ。スポーツ‐例えば陸上を例に挙げてみよう。私は小学生の頃陸上部に所属していたが、その時の出来事である。
ある友人が久しぶりにタイムが上がったので浮き足立っていた。仮にAさんとしよう。
「私、このまま大会で優勝しちゃおっかな♪」
その時、私はタイムが伸び悩んでいたので少し僻みっぽく
「ハハハ・・・・無理だろ。安心しろ。この私がいつか君を抜いてやるさ。」
「ウフフ♪いつになるかな?」
「フ・・・・。文鳥の言っていることは正しいゾ。」
私とAちゃんの会話にB君が割り込んでくる。彼もまた、記録が伸び悩んでいる奴だった。
「ヒド・・・何で?」
「お前にはぁ・・・・!!!!」
B君はビシッとAちゃんの顔に指をつきつけると、勝ち誇ったように言い放った。
「お前には才能が無い!!!」
「・・・・・」
Aちゃんは苦笑いすると、彼の頭を殴った。自業自得である。まったく・・・・馬鹿としか言いようの無い奴である。
まぁ、それはともかく、『一瞬の風になれ』という陸上をテーマとした本にも書いてあったが、スポーツには才能が必要だ、県大会、関東大会、それより上を目指すのならなおさらだ。この領域に入り込むと、努力だけではどうにもならない。いわば「神に選ばれた者」しかスポーツは上にはいけないのだ。「天才とは一パーセントの才能と九十九パーセントの努力である」という言葉があるがまさにその通りである。しかし、勉強の場合、才能は必要ない。努力次第で日本一、もしかしたら世界一さえも狙えるかもしれないのだ。
しかし、勉強には才能は要らないとはいえ、その学習能力は年とともに少しずつ失われていく。すなわち、脳の老朽化が進むわけだ。幼稚園製で都道府県を言えたりするのは脳が新しく、脳細胞が活発だからだが、年と共に物事を覚えられなくなっていく。つまり、ボケが始まるわけである。これは普段から頭を使うことで遅らせることは出来るが根本的にとめることは出来ない。しかし、それは生物にとって当然の事だと私は思っている。
確かに勉強をする上で苦しい事もあり、また、理解しがない難題にぶつかる事もある。しかし、それは絶対に努力で解決できる事だ。やはり私は勉強は大切だと思う。
講評 sango
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