国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   真実と嘘   ファラオ

 ノンフィクションの書き手は、在るものを映そうとし、フィクションの書き手は在らしめるために作ろうとする。しかし、全能の文章のスタイルといったものを求めることは無理なのだ。とすれば、もっとも大事なことは、ノンフィクションには何が可能で何が不可能かの境界を見極めることのはずである。
 事実をそのまま伝えることは大切だ。特に事故や事件を伝えるテレビ局や新聞に関しては無視することのできないものだ。しかし、テレビではそれをしっかり守っているとは言えないのが現実だ。自分たちは「ちゃんと伝えた」と思っているかもしれないが、○○さんを△△さんと間違ったり、地名を間違えたり色々ある。これではしっかり伝えているとは言えないだろう。
 でも、こういう間違いを直しても、百パーセント真実という状況を作り出すことは非常に難しいものだ。きっと、どんな天才でも出来る事ではないだろう。
 しかし、時には多少の嘘が許される時がある。例えば、重い病気にかかった人がいて、もうあと少しで死んでしまいそうな時、「あと一時間だよ。」というのと、「まだまだ生きられるよ。」と言うのとでは、病人の身ではどちらが、より元気をもらえるであろうか。もちろん、本当の事を知りたい人もいるだろう。でも、おそらく八割は、嘘でも自分の心が落ち着く言葉の方が嬉しいだろう。もしかしたら、その言葉のおかげで寿命が一日でも延びたらすごいものだ。でも、「絶対、ありえない。」とは言えないだろう。このように、時に創作は、真実よりも力を持つものなのだ。
 確かに、真実をそのまま伝えることも、創作したものを伝えることも大切だ。しかし、一番大切な事は、「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない。」という名言があるように、相手にちゃんと伝えるという事に、自信や責任を持つことだ。

   講評   suzuyo



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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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