創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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こぎ手 おむふ
またも卒塔婆が立たされた。当然、なにかしらが骸となったのだ。それは私の心である。人の心持ちといったものは白湯のごとく物静かであり、東雲のような小心者であろう。何故東雲が臆病なのであろうか。朝日というものの僕としていきていかざるをえないからだ。臙脂いろの羽衣を纏った朝日が顔を覗かせる暁。紺屋のように訪れたものを黒く染める夜からおずおずとはいだし、生あくびをしたようなぎこちないその身を朝日に乗じて任せる他ないのが東雲である。すなわち、人というのはなにかしらを背もたれとして庵のように質素にあるはずなのだ。だが当然それは夢に浸ったへべれけ。酒という輩を飛脚に己の五臓六腑にアルコール送り眠りにつき夢をみなくてはめぐりあえない桃源郷。庵の心は葦のごとくわずらわしいものなのだ。先述したように私の心は一度白湯のゆげのごとく立ち消えた。ある、事件のために。
つい先日、「鹿毛」と書いてなんと読むかとんと見当がつかず父にこれを尋ねた。父によると「かげ」と読むそうである。これは、すこぶる早く分かったが「鹿毛」がなんであるか分からない。屍があらわれてしまった。 また、その直後「鹿毛」をなんと読むかわすれてしまった。それ故親に聞くのも恥ずかしいため今度は、辞書を引いた。妙に時間がかかったものの頭に木蓮が生えた。智の木蓮である。心の梁となった。しかし、時間は常軌を逸したものである。
上のような場合父は手助けであろう。やはり父の手助けは必要である。別段、鹿毛がなんであるかを知るのがはじめの目的ではない。時間とてかからない上に明瞭簡潔である。
だが、助けがないほうも利があるだろう。多くの知識が得られ、自身も訪れる。
いずれにせよ手助けを借りるか否かはそのばによってさだめるべきであろう。船の舵取りのようなものである。御影石のような冷淡な海においてはこぎ手は大勢がなによりであろう。手助けは必要である。だが、濁流にも似た細い川では手助けはかえって億劫である。
講評 koni
【複数の意見】 手助けが良い場合と悪い場合の両面から考えて意見化することができました。
【体験実例】 この体験実例はわかりやすい。「頭の木蓮が生えた。」というたとえが効果的。多くを語らずとも言いたいことが強く伝わってくるよ。
【ユーモア表現・名言の引用】 書き出しの状況実例は、実におもしろいね。「紺屋のように訪れたものを黒く染める夜から〜」の文が個人的には、ぐっときました。桃源郷の話も現実的でユーモアがあるね。
【総合化の主題】 総合化の主題がよくできています。私たちは、謙虚な乗組員であると共に、判断力のある船頭である必要がありそうですね。ここのたとえ方もすばらしい。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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