国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   親子の絆   本因坊

 昔と今で、何が変わったか。それはいくつかあるかもしれないが、そのうちのひとつは、親子の関係である。昔は、親と子供がなる仕事の種類も、同じだった。江戸時代は、身分を勝手に変えることは許されていなかった。そのため、農民の子供は農民、商人の子供は商人、武士の子供は武士と決まっていた。そのため、親は、いつか自分と同じ立場になる子供に、自分の持っている知識をすべて伝授し、息子はさらにその息子へと話をし、その知識はずっと末代まで続いた。しかし、現在社会では、親が農家をやっていても、子供は都会に出て働き、その息子は政治家になるなど、親と子供のなる職業は必ずしも同じではない。これの違いは、以前は親と子が同じことをやるので、連帯感も生まれたが、進歩がなく、一定の位置に停滞していた。ところが現在は、親と子の断絶がある一定の年齢から生じ、親から子へ伝えなくてはならないことが減ったが、進歩はしている。この二つの形態だが、私は、前者を支持する。なぜならば、たとえ進歩がないとしても、親と子の関係は大切なものに違いはないからだ。(構成図 べき)
 昔のほうがいいと思う、第一の理由は、たった今述べたように、親と子の関係はとても大切だからだ。子は親を見て育つというが、現代社会のような、親と子の間に断絶があるようだと、まともには育たないからだ。現に、渋谷や秋葉原などに不良たちがたむろしている。こんなことでいいのだろうか。たとえ進歩がある現代社会でも、退化する人間が現れるのは本当に困る。これが第一の理由だ。(理由)私
 もうひとつの理由は、あまりにも親と子供がちがいすぎると、親子関係というものが感じられなくなってしまうからだ。親と子供は似ていてあたりまえだ。違っていては親子にはならない。まあ、あまり似過ぎていても恐ろしいが。(笑)
 確かに進歩がある現代社会のほうがよい点もあるが、親と子が分裂する。これが私には恐ろしく感じるのはおかしいのだろうか。経験は最良の教師である。そういうように、私の経験からすれば、これは大変な問題だと感じられる。進歩も大切だが、一度、昔の考え方を思い出してみたら面白いかもしれない。(確かに ことば)

   講評   nane

 書き出しの状況実例は、よくまとまっている。ここに、軽く身近な実例を入れてもよい。更に、余裕があれば書き出しの工夫をしてみよう。
 第一の理由の実例になっている不良の話は、これはこれでよいが、他人の問題という形で考えると浅くなることがある。自分自身にもある問題というところで実例を探してみよう。
 第二の理由は、焦点があまりはっきりしなかったかなあ。これは、最初の意見が「親子の関係は大切だ」という形になっているから。「AではなくBが大切だ」という形になるように考えてみると、はっきりするよ。
 結びの段落も、同じく。反対理解がはっきり打ち出せるような意見を最初に考えておくのがコツ。


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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