国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   教育社会主義   メロディ・ブルー

最近いじめが同一の学年の間に集中して発生している。子供の大半が「ひとりっこ」で、世代間関係の付き合いの仕方が子供の文化の中で育っていないように見える。学校では、先生と云う頂点を元に各人が機械的に平均的な態度をとる様に常に圧力が働いている。成績や身体の差異などは極力控え目にしか表現されないように仕向けられており、其の結果子供は自分が何であるかの確認が出来ないという漠然とした不安がある。しかし、順位が確定すれば動物の世界での例も挙げられる様に、子供の世界でも其のルールを適用出来るならば、いじめは横行せず再び平和になる。競争するということは、相手にチャンスの平等を保証する限りで倫理的な他者危害ではない。フェアプレーの精神を高めて競争させることはいじめ対策の大事な点であるが、現在の教育者の多くは「競争させないこと」がいじめ対策だと誤解している。基本である他者危害の原則を学校で教えられる体制になっていないということが、最大の問題点である。
本当のいじめの対策は、子供達に自由競争をさせていくことであり、私達はこれからそのことをきちんと認識していくべきである。そうするには先ず、子供達を教育していく立場である大人や教育者が此の間違った認識を正すことが必要なのではないか。例えば私の通う学校はカトリック系なので、多分割と平等だとかそういう言葉を日常的に聞く様な気もしないでもないのだが、その分成績についてはシビアなものがある。頭が良くて有名な人は大体言ってもいないのにテストの点数の信憑性のある噂が流出したりするし、其れで「あの人には敵わないなあ」とか「宿題とか訊いたら解ってそう」とか、そんな事を考えたりする。テストの順位は出ないが、点数分布表が成績表と同封されて保護者宛てで郵送されてくる。此の保護者宛てというのがポイントで、成績表封入の作業は私達がするのだが、家へ其れが送られて来ても親が見る迄私達はその成績表を確認する事が出来ない。極めつけに相対評価であるので、幾等頑張ったとしても数学・理科系科目は平均的な成績しか取ったことがない。だが、実はうちの学校はいじめの発生率が多分他の学校よりも非常に低い。発生したとしてもそれは大体いじめとは云えない位の生易しいもので、理由は行動と言動が電波だったからだとか、その人自身の性格に起因するものである。だから余程「DQN」と言われる様なことをしない限りはいじめなど起こらない。そして何となく、成績が良くスポーツも出来、顔も良く性格もはきはきした子だと、皆が反発しようという雰囲気を失くしていく。動物の世界の順位の様なものだとは思わないが、皆自分の位置にそこそこ満足しつつも自分と同じ位のレベルの子とお互いに高め合い、勉強している様子が見受けられる。下を見て自尊心を保とうと云う行動に出る子は極めて少ないし、大体そういう子は誰からともなく余り万人に好かれない傾向にある。自分は別の理由——自由でないという理由で自分の学校が嫌いだし、勿論教師だって嫌いであるが、其処のところの認識は余り間違っているとは思わない。と云うより、今の現代社会に見合った様な価値観だと思っている。まあ、結局其処だけの話なのであるが、自分は今の対人関係について特に不満を持ってはいない。寧ろ平和で、特に今のこの対人関係の状態については文句も無い。たとえその関係が酷い事になっても、その原因は理不尽ないじめには絶対に帰結しない。
次に、子供である私達が、打ち込む事の出来る何かを探求していくことが大切である。勉強をしてなお持て余す程の余裕があるからこそ、「何となく」いじめをしてしまうのでは? そんなことも必ずしもいえないという訳では無い。其の余力を他のポジティブな趣味等に繋げられるかが、いじめをする人としない人との大きな隔たりであると思う。例を挙げるならば、出来れば勉強等の息が詰まる様なものよりも娯楽性のある息抜き出来るものの方が良いだろう、勉強を趣味にしてしまうとかえって駄目になってしまう場合が多い様に思う。私の周りの友人は漫画や音楽鑑賞が趣味という人間が多い。実際に私もそうだったりする。普通にテレビドラマやアニメの視聴、読書、歌うこと、スポーツすることでも良い。スポーツ系の部活に入ると結構陰惨——かと思えば、逆に部活を通して友人としての結びつきが強くなっている人が多く、テニス部等は一種の集団であるとも考えられている(笑)偶にそれが少し怖い存在に見える場合もあるが、大抵は集団内で起こった良いこと・悪いことはその集団の中で解決されるのだから、今は特に何も思わなくなった。そしてこの学校で3年余りを過ごした今、私はつくづくこの学校が何となく平和だと思うのである。それは、どんなに頭の良くて余裕の有り余っている人でも、其れを全てつぎ込めるだけの趣味を持っているからなのだろう。
確かに競争社会と云うのは本当に良いばかりのものなのか?今の様に平等に扱われることが、自分に劣等感を抱いている子供の心理状態には良く影響しているのではと云う意見も尤もかも知れない。例えば家族愛等の類は兄弟姉妹に優劣をつけるべきではないだろう。其の所為で少し屈折してしまった友人を私は知っている。しかし資本主義であるこの日本・この世界の社会の中に何故か存在する教育に対してだけの社会主義は、それこそ子供達の心の均衡をアンバランスなものにしてしまう危険性を孕んではいないか。そういった形ばかりの優しさならば逆に必要無い。大人になってから今の社会に馴染もうと努力して壊れるより、私は早くから現実を知っていたいと思う。籠の中の鳥であるのではなく、限りない空を飛び渡る燕、井の中の蛙であるのではなく、大海を知った海豚でありたい、少なくともそう考える。だから私は、今のいじめに悩む・またいじめをしてしまっている子供達に於いて、今の内に競争という観念を何と無くでも頭に入れておくべきなのだと主張しているのである。

   講評   koni


【複数の方法】 よくできています。一つ目の方法を社会的なこと、2つ目の方法を個人的なことで挙げたところがいい。

【体験実例】 「いじめは悪いことです。絶対やってはいけません。」という言い方では、説得力がないですね。それは、皆、理解しているものね。競争をして勝ったり負けたりすることで学ぶことがたくさんある。そこから、認める心も育ってくる。劣等感を持たせないことを考えるよりも、達成感を持たせる教育が必要なんでしょうね。高校生くらいになってくると、何でも自分との戦いなんだなぁということを実感するでしょ。そこにたどり着くまでの心の有り様は、教育者や親の手助けが必要で、天地人ではないけれど、最終的には愛が必要なんでしょうね。
 2つ目の方法であげた熱中することというのは、やっぱり大きいなぁと私なんかは思います。大人の世界でもいじめは存在する。だけど、自分の生活に一生懸命な人は、そんな暇はないわけなんですね。そんな暇があったら、あれもしたい! これもしたい! さきちゃんもそう思っていることでしょう。他人に無関心なのではなく、他人と自分を区別できることが大事かな。そう考えると、自分の人生を自分で歩んでいる実感が必要になるのでしょうね。

【ユーモア表現・自作名言】 よくできています。鳥と燕、蛙と海豚を登場させたところも個性的でいいね。

【反対意見の理解・当為の主題】 3点セットでまとめることができました。生き方の主題が更に深くなって結びで主張できたところがいいよ。

★各段落の書き出しは、横書きでも1マスあけよう。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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