国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日4215 今日209 合計59984
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   必要と無駄の経験   あほーどり

 「私」は、アフリカの盲人と神話や昔話を採取していた。
 あるとき、彼から、目あきは何でも見えるからすべて解ると思っているという「目あきのおごり」というものを教えられた。逆に盲人は心の眼と優しさでものを見ている。
 私たちは誤解などを恐れ、言葉を最も定義しやすい意味だけに限定する。そうするとそれ以外も意味で周りを理解する力がなくなる。神話や大自然に満ちる無駄なことは、自然と対話するのを助ける心の眼である。
 無秩序なことは調和して生きるための叡知であり、自然との調和は人類が避けることの出来ない原則になった。
 私たちは合理的に生きるためには無駄なものを排除して行かねばならない。
 私の家には庭があり、私も母の手伝いとして雑草抜きを手伝うことがある。雑草をはやしたままにすればみっともないと思われるだろう。人間の社会で生きてゆかねばいけない以上、人間が美しいと感じるような秩序だった、無駄のない生活するのは必要なことである。
 しかし、一方で無秩序だったり、無駄なものもなくてはならないだろう。
 人間生活に必要なものだけをみんなが選択し続けるということは、最終的には人類全体が画一的なものになって個性が消えてしまう、という事態につながりかねない。
 また、秩序だったものに対しては結果が容易に予測でき、面白さを感じることができなくなる。神話も昔話も、ときには自然も、一見ありえないようなことが起こるから人々は感動したり、面白いと感じることができるのだろう。
 確かに、秩序だったものも、無駄に見えるものも大切である。しかし、「経験は最良の教師である」という言葉もあるように、本当に大切なことは、必要なものも無駄に見えるもの経験し、そこから何を学び、その後に生かすかである。さまざまな経験を通して豊かな心を作り、社会や自然と調和することを進んでやることを、誰かから教えられるのではなく自分で学ぶことが望ましい。

   講評   hota

 先週はお留守でしたね。その分を、振り替えをして書いてくれましたね。

 よいと思います。要約も、少し長めですがよいでしょう。庭の雑草抜きの「体験実例」は、よくわかります(笑)。私も子供の頃には大嫌いだった庭の草取りを、大人になって他に誰もしてくれないので時々自分でやるのですが、「こんなにどんどん生えてくる草を、どうして人間の判断で雑草と決めつけて、抜かねばならないのか……」とため息が出てしまいます。それは単に、しんどいからやりたくない、という正直な気持ちもあるのですが。
 そう、「人間が決めた秩序」。これなくして、人間の世界は成り立たないのはわかっているのですが、時にそれは理不尽なこともありますね。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)